清想空

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open05.04.12
もう一度会えたら、そのときは 第3話
目を開けると目の前に白い谷間があった。
「……?」
鼻を埋めるようにしているそれが何かわからなかったのは一瞬で、その柔らかい感触がバスローブから覗く女性の胸の谷間だと分かった瞬間、光琉は跳ね起きていた。身体に掛けられていた上掛けが勢いよく跳ねて、痩せた右肩からバスローブがずり落ちた。
うわ……、なにっ……なにこれ……っ。誰……これ…っ。
寝起きの頭は状況をよく理解できず、ただひたすら驚くことしかできなかった。。
その中でわかっていることは、目の前に妙齢の女がバスローブ姿で寝転がっているということ。ここが自分の部屋ではないそれなりに広い部屋だということ。それから、この状況があまりにもおかしいということだけだ。
「あ、起きた」
光琉が目を回しそうになっていると、胸の谷間を惜しげもなくさらしていた女がからりとした声をこぼしながら起き上がった。黒い長い髪がさらりと胸元に落ちる。まるで光琉が起きるのを待っていたかのようだ。
「おはよ、村野」
「ん、おはよう、村野」
「っ?!」
背後で上掛けがばさりと音を立てるのと同時に別の女の声がして、背後から白い腕が伸びてきた。突然後ろから抱きしめられて、光琉は驚きのあまり声も出せずに身体を揺らしてしまった。
背後にも人がいるなんてまったく気が付かいていなかった。
「な……ななな……に……っ」
動揺して振り向こうとする光琉に抵抗するように後ろから胸を抱く腕に力がこもって、むにゅっと柔らかいものが背中に押し付けられる。それがやはり女性の胸だとわかって、光琉の頬は瞬時に赤く染まった。
うわああ……。
オタクといえど別に生身の女性の身体が嫌いなわけではない。大学生のときにどうにか童貞は卒業しているが、こうして女性に密着されてどきどきしないほどできた人間でもない。性欲が強くない方でも一応男性としての本能だけは持っているのだ。
むしろ経験が少ないだけに、背中に当たるものを意識しないではいられなかった。
「あはは、赤くなってる。村野かーわいー」
そんな光琉の様子が面白がって女がもう一度かわいいと言ったところで、ようやく背中の女の腕が外れる。柔らかい感触が離れていって、光琉はほっと息をついた。
「あ、本当だ、顔があかーい」
背後の女が横にずれて顔を覗き込んで、一緒になってからかってくる。
そのからかいにどう答えたらいいのかわからず、おろおろと視線をさまよわせていると、正面の女が光琉の様子がおかしいことに気付いたらしい。
「あれ、もしかして、村野覚えてないの?」
「……なに、を?」
問われて光琉は慌てて昨夜のことを思い出そうとした。けれど、店で川田に大丈夫かと心配された辺りで記憶が途切れている。その後のことは全く覚えておらず、店をどうやって出たのかも、どうやってこの場に来たのかも、何もわからない。
ただ、一緒にベッドに寝ている彼女たちについてはおぼろげながらに思い出した。たしか昨日の同窓会で、川田のところに挨拶に来たついでに光琉にも話しかけてくれた二人だ。
すでにかなり酔っぱらっていたのではっきりとは覚えていないが、こんな感じの顔が向かいの席にいたような気がする。残念ながら名前はさっぱり思い出せないが、元クラスメートではあるのだろう。
それにしても今までは酒に酔っても大抵は寝てしまうだけだったのに。なぜこんなことになっているのだろう。今回は何かやらかしてしまったのだろうか。
覚えていないからこそ光琉の不安は募った。何といっても光琉も男だ。万が一のことがないとは言い切れない。
……たとえば、彼女たちを襲った……とか……。
いや、まさか、自分に限って、と思うものの、間違いを絶対に犯さないとは断言できない。むしろ今自分たちがいるホテルらしき部屋こそが何かあった証拠のように思えて、光琉の顔からさあっと血の気が引いていく。
その顔が余程悲愴なものだったのだろうか。正面の女がびっくりしたように目を見張った後、げらげらと笑い出した。きっちりと化粧をした顔はかなり美人なのに、もったいないくらい豪快な笑い方に思わず光琉の目も点になる。
「やあだ、村野、冗談よー!」
「は……?」
訳がわからず光琉の口からは間抜けな声がこぼれた。
と、そのとき、背後から別の声が割って入ってきた。
「こらこら村野をからかってんじゃないよ」
はっとして振り向くと背後から上半身裸の川田が頭にタオルを乗せてこちら側へ来るところだった。その手にはいくつかの服を抱えられている。
その姿を見て川田もいたのだと少し安心した。
川田は安心させるように光琉を見やってから、彼女たちに視線を移した。
「村野、青くなってるじゃねーか」
「だってえ、村野、私たちと何かあったんじゃないかって青くなってかわいかったから」
「だから、つい、ね」
「そうそう、つい」
「つい、じゃねえっつーの」
川田はがしがしと頭を拭きながら呆れたように言った。
「村野、こいつらは昨日終電逃がしたっていうから、一緒に泊めてやっただけだ。何もなかったから、安心しろ」
「そうそう、たまたま駅で川田と会ってさ、一緒にホテルの部屋とってもらっただけ。部屋が空いてなくて相部屋になっちゃっただけ」
「村野とは何もなかったから安心してよー。ベッドだって、私たち二人と、川田と村野で分かれて寝たんだから」
「そういうこと」
川田の締めくくる言葉を聞いて光琉はほっと息をついた。周りを見てみればたしかに隣にダブルベッドがもう一つある。つまり彼女たちはそちらで寝て、俺と川田がこちらのベッドで寝たということなのだろう。
……彼女たちと一緒に寝たわけではなくてよかった。
光琉は心底安堵した。
「で、昨日の村野があんまりかわいかったから、ちょっとミカと一緒になってからかいたくなっちゃっただけ。ね」
「そういうこと。アケミの悪巧みに乗っかっちゃっただけ」
それでクリーニングに出していた服が届くまで暇なので、そろそろ起きそうな光琉の両脇にバスローブ姿で寝転がってみたと言われてしまえば、どんな悪ふざけなんだと言う気力も奪われてしまう。
女って……。
こんなことを遊びでできてしまうなんて、光琉にはいささか信じられない。
ちょっと複雑な顔をした光琉を見たアケミがくすっと笑って、ちゅっと音を立てて光琉の頬にキスをした。豊満な胸が再び目の前に迫ってきてどくんと胸が鳴った。ついつい視線をそらせずに、釘付けにされたような光琉にアケミがまた笑った。
「うーん、やっぱりかわいい」
「おい。田中に青田、お前ら彼氏いるんだろ」
頬を染めて固まってしまった光琉を見かねた川田が助け船を出してくれる。
「だってえ、村野の方がかわいいんだもん」
「だもんじゃない。そういうサービスは彼氏にしろ。とにかく悪ふざけはやめてとっとと着替えろ。服、届いてるぞ」
「はーい。ありがと」
「じゃ、うちら着替えてくるね」
川田が腕に抱えていた服を見せるとアケミとミカはベッドから降りてそれぞれ服を取った。そのまま部屋の角を曲がって、すぐにドアの閉まる音がした。多分バスルームへと向かったのだろう。
どうやら本当に彼女たちは、服以外は帰る準備が整っていたようだ。道理で化粧もばっちりしていたのだと遅ればせながら気が付いた。
「あいつら調子いいな」
舌打ちした川田がベッドの脇に腰を下ろして光琉の方へ視線をやってくる。いまだにベッドに座り込んでいる光琉を気遣うような仕草だ。
「村野、調子は大丈夫か」
「あ、うん、それは大丈夫だけど……」
「どうした」
「俺、昨日……何か、やっちゃった……?」
さっきアケミに言われた『昨日の村野がかわいかったから』というのが引っ掛かっている。
彼女たちは何もなかったと言っていたけれど、やっぱり何かやってしまったのだろうか。それこそ恥ずかしい真似でもしてしまったのかもしれない。そのついでに川田にも迷惑をかけたのかもしれないと思えば、申し訳ない気持ちで一杯になる。
「俺……途中から記憶ないんだけど、何か迷惑かけたんじゃ……」
「ん? いや、途中で寝ちゃっただけで、それ以外は特に何もなかったけど」
「ごめん……」
たいしたことじゃないと言われても、それで済むはずもない。この歳になって、酒に飲まれているようでどうするのか。しかもホテルをとることになった原因だって、寝てしまった光琉に違いないのだ。
申し訳ない……。
自己嫌悪もいいところだ。自分は一体何をやっているのだ。
「気にするなって」
「いや、でも……」
「村野、いいから、気にすんな」
川田はそう言って慰めるように光琉の顔を覗き込んだ。その瞳が優しい。
ああ、そうだ、夢で見たのと同じ目だ。
初めて声を掛けられたときと同じ優しさのこもったまなざしを受けて、光琉はあのときと同じように頬を赤らめた。そんな風に見られるのにはやはり慣れていない。大学生のときに付き合っていた彼女にすらこんな優しく見られたことはない。
……なんか恥ずかしい。
人慣れない光琉には少し刺激が強かった。
「……うん、ごめん」
恥ずかしさをごまかすように呟くと、タイミングよく着替えを終えたアケミとミカがベッドルームに帰ってきた。
「じゃあ、私たちは帰るね。川田、昨日はありがとう」
「村野もまたね」
「ああ、お前らも気を付けて帰れよ」
二人は川田に礼を言って、自分たちの荷物を持ってさっさと部屋を出て行った。去り際は呆気ないほどだった。