清想空

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open05.04.12
もう一度会えたら、そのときは 第2話
店の出口に一番近い席には高野に呼ばれてきた川田と光琉だけが残された。
「……村野?」
「川田……」
名を呼ぶ心地良く響く声につられて、座ったままの光琉は立っている川田を見上げるようにして顔を上げた。
視線が一瞬だけ絡む。
一目見てわかった。きっと名前を聞いていなくても、見れば川田だとわかったに違いない。高校生の頃よりも男っぽくなったけれど、どちらかというと愛嬌のある顔立ちには当時の面影を十分に残している。クラスメート皆から好かれていた人気者の顔がそこにあった。
「村野、元気だったか」
「う、うん……」
いかにも人好きのする笑顔で見つめられて、光琉はぎくしゃくと頷いた。
川田と会話するのは実に十年以上ぶりだ。何を言っていいのかよくわからなかった。けれど川田はそんなことは気にしていないようで、以前と変わらずにこやかに話しかけてくる。
相手が話題を振ってくれたことにほっとしながら、光琉はなんとか問い返した。
「そういう川田は……? って……うわっ」
「こっち来いよ、ほら」
声が途切れたのは突然腕を掴まれて立ち上がらされたからだ。
そのままイスの背に置いてあった光琉の荷物を持った川田に、引き摺るようにしてフロアの中心寄りの席まで連れていかれた。
背丈は百七十六センチメートルの光琉より少し高いだけなのに、光琉よりも余程力強い腕だった。もしかしたらスポーツか何かで鍛えているのかもしれない。もっともあまり運動していないひ弱な光琉と比較するのがそもそもの間違いかもしれないが。
川田はあまり人の多くないテーブルを選んでくれたようだが、それでも周りから注がれる視線が痛い。川田が連れているのが誰なのか話題になっているらしく、ところどころで
「えー、村野?」
という声が聞こえてきていたたまれない気持ちになる。
高校時代にあまり目立たなかった光琉を覚えているような人などほとんどいないに違いない。むしろ覚えていた川田の方がおかしい。
こんな風に目立つのは酷く苦手だ。早く帰りたい。こうなったら会費を渡して挨拶だけしたら席を立ってしまおう。
そう思って返された鞄から会費の入った封筒を取り出し、ちょうど飲み物を取って戻ってきた川田に差し出した。
「ああ、サンキュ」
川田は笑って自分の鞄の中にしまうと、さっさと光琉の隣に腰を下ろした。
「ほら、これ、村野の分」
「え、あ、うん」
川田が取ってきたグラスを差し出してくる。あまりに自然だったので光琉はつい受け取ってしまった。
帰るきっかけを失ってしまったが、まあいいかと気を取り直す。少しだけ話して、きりのいいところで抜け出してしまえばいいのだ。川田は同窓会の幹事だし、挨拶をしたり場を取り仕切ったりと忙しいだろう。いつまでも光琉にべったりくっついているなんてことはないだろうと踏んだ。
――そううまくはいかないことも知らずに。
「村野、来るの遅かっただろう。何か食べた?」
「え、……や、食べてない、けど」
「ったく何やってんだよ、ほら、食べろ」
「あ、ありがとう」
川田は面倒見よくテーブルの上に残っている料理を皿に取り分けてくれる。そうされれば余計に帰りづらくなった。しかも何も食べないで酒ばかり飲むと胃に悪いと言われ、うっかり納得してしまったから、取ってもらった料理に口を付けないわけにもいかなくなった。
元々酒には強くないので、川田の言う通り空きっ腹にアルコールを入れただけではすぐに酔っぱらってしまうだろう。光琉は渡された箸を割って、川田に勧められるまま皿の上に盛られた料理に箸を伸ばした。
「おいしい」
「だろ?」
口へと運んだ肉料理がどんなものなのか料理に詳しくない光琉にはよくわからなかったが、とてもおいしかった。
正直にそれを伝えると嬉しそうに川田が笑う。本当に人懐こいというか、同年代にしては少し少年っぽさを残した笑顔が眩しい。
そう思った途端に少しだけ肩の力が抜けた。そういえば昔から川田にだけはそんなに気を張らなくてよかったことを思い出して、光琉は口元に薄い笑みを浮かべた。
「もっと食べろって」
「うん……」
まるで親鳥に餌を与えてもらっている雛のようだな、と自分を揶揄しながら光琉は料理と酒を口へと運んだ。
川田の側は不思議と居心地がいい。少しばかり世の中で生きることを息苦しく感じる光琉にとって、川田はほんのわずかな救いのようなものだった。彼の側にいる間は楽に呼吸ができる。そんな感じだ。
「これもおいしいから飲んでみな」
「あ、でも俺、そんなに酒強くないから、これくらいで……」
「そんなこと言うなって、こんな機会じゃなきゃ飲めないんだからさ」
からりと笑って勧められれば、ちょっと飲みすぎかなと思っていてもついついグラスを受け取って飲んでしまう。川田に渡されたワインは甘口でたしかにおいしかった。
それからも川田は光琉の側を離れず、幹事で忙しはずなのに、にこにことしながらいろいろと世話を焼いてくれた。
「ほら、これも飲んでみな」
「……うん」
そんなことを繰り返すうちに光琉は段々とふわふわとした気分になってきた。
アルコールが効いてきたのだろうと思っても、すでに思考は理性を離れてふわふわと漂い始めていた。今と昔のことがごちゃ混ぜになってぐるぐると頭の中を廻っていく。
そういえば川田には昔からこうしてちょっとしたことで声を掛けてもらっていた。それが少しだけ嬉しかったことを唐突に思い出す。
――ああ、これはその延長線なのかも。
少しだけ浮かれた気分でそんなことを考えていた光琉は、ちょっと話したら帰るつもりでいたのに引き止められていることにも、自分が度を越して酒を飲んでいたことにも気が付いていなかった。
時折、隣や向かいの席に座った人と話したことは覚えている。同窓会に来るなんて珍しいねという会話をしながら、それでも嫌がられていない空気にほっとしたことも薄ぼんやりとだが覚えている。
「村野? 大丈夫か?」
「う、ん……だいじょうぶ……」
川田に聞かれて、大丈夫だと答えたことも覚えている。
けれどその直後に光琉の意識はぷつりと途切れてしまった――。
 
 
 
『保健室にいればよかったのに』
冷たい体育館の床に座って寒さに凍りついていた光琉は、ふと掛けられた声にぎこちなく振り向いた。
『え?』
『だから、保健室に行けばよかったのに』
呆れたような顔をしてもう一度声を掛けてきたのは、クラスメートの川田慧<けい>だった。
川田ときちんと話をしたのはこのとき、高校二年の秋が最初だと記憶している。
川田は明るくて元気でクラスの出し物でも率先して行動するタイプで、アイドルとは違うが男からも女からも好かれている、いわゆるクラスの人気者だった。持ち前の愛嬌のあるキャラクターで教師受けもよかった。
今でこそ光琉と同じくらいの身長だけれど、当時の川田はまだ百七十センチメートルそこそこであまり身長は高くはなく、格好いいというよりはチャーミングというような印象を受ける少年だった。たしかバスケットボール部に所属していて、細身の身体の割にスタミナがあって、見た目とのギャップがいいなどと女の子たちがきゃあきゃあ言っていたのを覚えている。
そんな川田は、とにかく地味で、卑屈で、目立たないようにしていた光琉とは対極にいるような人間で、このときまで面と向かって会話をしたことはなかった。
『保健室?』
このとき光琉は風邪をひいていて体調が悪く、体育の授業を見学していた。まだ秋とはいえ日の当らない体育館の中は寒く、ブレザー姿のまま上に羽織るものを何も持ってきていなかった光琉は、隅の方でクラスメートのバレーボールの試合を眺めながらかすかに震えていた。いつの間にか身体が芯から冷えていた。
『寒いんだからさあ、村野、保健室で休んでればよかったんだよ』
『え?』
どうやら寒さに震えている光琉を見かねて声を掛けてきたらしい。ちょっとだけ眉をひそめているが、川田の口調に嫌味な感じはなかった。
そして人付き合いが苦手なせいで情報に疎い光琉はこのときになって初めて、体育の授業を休むときは特別に保健室で休んでもいいというルールがあることを知った。そんなルールがあることなど、下手をしたら川田に教えてもらわなければ卒業まで知ることはなかったかもしれない。
『なんだ、保健室で休んでもよかったんだ……』
小さくこぼした光琉に川田は呆気にとられたような顔をして、それから次の瞬間には豪快に笑い出した。
『なんだ、村野って澄ましてるのかと思ってたけど、天然なのか』
笑いながらそんなことを言われて少しだけむっとしたものの、光琉を見つめる川田の目がとても優しい色をしていて、光琉は恥ずかしさにわずかに頬を染めた。高校に入ってから仲のいい友人以外とこんな風に会話をしたことがなかった。こんな顔で見られるのは慣れていない。
川田は凍えている光琉を立ち上がらせた後、体育の教師に事の次第を伝えて光琉を保健室で休ませてくれた。おかげで凍っていた身体は温まったし、風邪をこじらせることもなかった。
それ以降、川田はともすれば孤立してしまいがちな光琉に何かと声を掛けてくれた。どことなく『普通』に染まり切れない、人と違う自分が嫌で、そのせいで学校という同年齢の少年少女が集まる場所が息苦しくて仕方なかった光琉にとって、誰にでも明るくて分け隔てなく優しい川田は唯一ほっとできる場所になった。
といっても、それをきっかけに川田と特別仲が良くなったわけでもない。川田との付き合いは結局進級によるクラス替えまでの半年程度だった。クラスが分かれてしまえば川田との接点はなくなり、会話をすることもなくなった。
それでもそんな短い間だけの付き合いでも、なぜか十年たっても川田のことだけは妙にはっきりと覚えていた――。