清想空

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open05.04.12
もう一度会えたら、その後に 第10話
 社会人になると日々があっという間に流れて行くというのは、冗談でもなければ嘘でもない。紛れもない事実だ。
変な表現だが、一日がやたら長く感じることがあっても一週間はあっという間に過ぎて行く、というくらい時間の流れが早い。
気が付けば、
「あれ、もう今月終わり?」
ということがしょっちゅうで、それを繰り返しているうちに一年があっさり過ぎて行ってしまう。
高校までと違って進級もなければ、クラス替えもない。春休みもないので、四月になっても新年度を迎えたという新鮮な気持ちはあまりわかない。
それでも営業の新人が入ってきたのを見て、ああ、そんな時期か、としみじみ思うことはある。それから決算、新人研修の手伝い、取引先の引継ぎという怒涛の仕事量が押し寄せてきて、今年もこの時期がやってきたか、と覚悟を決めるように思うこともある。
どちらにせよ、自分の周囲の環境が大きく変わるという意味での変化は乏しい。
が、こなさなくてはならない仕事の量は普段の倍以上に増えるわけで、それらをさばくために、どのみちばたばたする羽目になるのだ。
そうしている間に四月はさっさと過ぎていき、やっと新年度頭の忙しさが終息したかと思えば、すぐにゴールデンウィーク前の請求書発行ラッシュがやってくる。その後には休む間もなく全社の月次決算の作業が始まり、五月も中旬になるまでは一段落つかないのが常だ。
そんなこんなで今年も、ようやく仕事が落ち着いたのは五月も下旬に入った頃だった。
忙殺されている間は、勿論、川田と会う機会はなかった。結局、初詣から一度も会っていない。
光琉が忙しかったのもあるが、川田の下に新人が配属されたことも大きな理由だった。
新人教育の大変さは周囲を見ていればわかる。仕事を教え、やらせた仕事のチェックをし、その結果をフィードバックさせながら、同時に自分の仕事もやるのは正直かなりしんどいし、時間も食われる。
実際に川田も相当大変なようだ。
休憩時間に確認したメールには、『仕事が全然片付かない』と珍しく弱音が書かれていた。
互いの時間的、精神的余裕がなくなったので、食事の誘いのメールの中身は今ではほとんど近況報告に変わっている。回数も以前に比べるとぐっと減っていた。
光琉の方はすでにピークを過ぎたが、川田の方の忙しさが解消するにはまだ時間がかかるだろう。
これでもうしばらくは自由の身だなと思っているうちに時間は進み、気が付けばまた月末前のラッシュがやってきて、その流れに乗ってあっさりと六月に入り、ついでに梅雨の時期がやってきた。
業務を淡々とこなし、たまに出口に絡まれながら日々を過ごし、六月も半ばになろうかという頃になって川田からメールが届いた。
『やっと早く帰れるようになってきた。来週あたり飯行こう』
川田にしては珍しく用件のみの端的な内容だ。一山越えた解放感からなのか、こちらに気を遣う余裕がないのか。よくわからなかったが、光琉は来週のスケジュールを考えて、とりあえず了承の返事をした。
 
 
 
店の前での待ち合わせに、川田は少し遅れてやってきた。
「あー、なんか久しぶり」
遅れたことを詫びながらやってきた川田は、しみじみと呟いて眉を下げた。何と言うか、元気印がトレードマークのような川田にしては珍しい表情だ。
人間なのだから、何があっても四六時中元気なままというわけがない。それはわかっていても、川田はあまりそういう顔を他人に見せないので、光琉としては少し意外だった。
ひとまず店に入って頼んだ酒と軽いつまみを食べながら、二人でちょっとした近況報告をした。
メールのやりとりは細々と続けていたけれど、こうして顔を合わせるのは半年ぶりだ。やはり忙しかったからなのか、久しぶりに見る川田はどことなく疲れているように見える。
話を聞いてみれば――わざわざ光琉が聞かなくても川田は自分から話し始めたが――、やはり新人を任されて大変らしい。ほぼ一日付きっきりで指導するとなれば気を使うだろうし、営業の仕事は社内だけでなく取引先との折衝もあるはずだから、見本として振る舞うのも疲れるだろう。
それでも川田の口ぶりからは仕事を楽しんでいるような印象を受けた。
光琉だったら間違いなく楽しめない状況でも、そんな風にしていられるのはさすがだと思う。昔から川田は周囲に人が集まる人間だったから、やはり根本的に人が好きなのだろう。
俺とはえらい違いだよなあ、と心の底から思う。
きっと体力面でも川田の方がタフなのだろう。そうでなければ営業など務まらない。
川田のタフさに感心しながら、世間話のようなものを織り交ぜつついろいろな話をした。以前は二人でいるイコール気づまりな時間だったのに、そう思うこともなく、むしろ会話は前よりも弾んだ。どうやら初詣のときに下がった心理的ハードルはそのままらしい。
それが自分にとっていいことなのかはよくわからなかったけれど、ずっと相手の出方をうかがって気をすり減らし続けるような時間よりは、ずっと楽だった。
結局、一時間半ほど川田と話をして店を出た。
今日は割と楽しく過ごせたけれど、状況が落ち着いてきたとはいえ川田がまだ大変なのは変わらないはずで。
「……でも、あんまり無理しない方がいいんじゃないのか」
会計を終えて店が入っているビルから出たところで、少し心配になってそう言ってみた。
光琉自身、何の裏もなく川田の心配をする自分に驚いたが、川田の方はそれ以上に驚いたようだ。一瞬だけ意外そうな顔をした後、妙ににこやかな顔に変わった。
こういう顔をするときの川田はろくなことをしない。
さすがに学習した光琉が咄嗟に距離を取ろうとしたがすかさず川田に腕を掴まれ、ビルとビルの間の小道に引きずり込まれた。
「むしろ村野の顔見てちょっと元気になった」
「な、に言ってんだか」
にこりと笑った川田に返す言葉は、少しの緊張をはらんでいた。
「嘘は言ってない」
「!」
避ける間もなく川田がさっと唇を奪っていく。あっさりと離れていく川田の顔を思わず凝視してしまう。
以前も思ったが段々手口が巧妙になっているような気がする。
裏を返せばそれだけ自分に隙が多いということなのだろうが。警戒していても、こうやって迫られてしまえばうまく逃げられない。
「久しぶりだからもうちょっと補充」
「な……」
今度はゆっくりと顔が近付いてきたけれど、この恥ずかしい状況に対応できない光琉はそのまま固まってしまった。光琉の両手首を掴んでいる手は緩やかな拘束だ。逃げようと思えばできたはずなのに。
川田の顔が至近距離にある。それに耐えられなくなって、うっかりと目を閉じてしまう。それを了承ととったのか、啄むようなキスを数回繰り返された。
息づかいを間近に感じる。
光琉は緊張のあまり身体を強張らせて、川田が離れていくのをひたすら待っていた。
週の半ば、夜遅くのせいか人通りはかなり少ない、というかほとんどない。とはいえ、誰に見られるかわからない場所でこういうことができる図太さは光琉にはなかった。
「んー、癒される」
ようやく川田の顔が離れて、光琉は無意識のうちに詰めていた息を吐き出した。心臓がすごい勢いで鳴っている。緊張と恥ずかしさのせいだ。顔が熱くて痛い。
「あー、本当はもっとしたいんだけど、今日はここまで」
川田が正面から光琉の肩を抱いて、そこに顔を埋めた。
突然の出来事に鋭く息を吸ってしまった光琉だったが、川田が肩に頭を擦り付けてくる仕草を見て思わず笑ってしまった。
「……ふ」
まるで猫が飼い主に懐いて頭突きしてくるような様子がおかしい。
そう思ったら手が自然と川田の背中へと向かってしまった。ぽんぽんと慰めるように軽く叩くと、川田は肩に頭を預けたままどこか嬉しそうな顔を見せて、ゆっくりと身を離した。
「これ以上は離れがたくなるわー」
「……戯れ言はいいから、帰るぞ」
「なんだよ、冷たいなあ」
川田の返答には以前のようなキレがない。たぶん、本当に疲れているのだろう。
だから無理しない方がいいと言ってるのに。
親切心から言ったのに川田に流されて、それが少しだけ腹立たしい。
「とにかく今日はさっさと帰ろう」
「はーい」
川田から寄越された軽い響きの返事に小さくため息をついて、光琉は駅に向かって歩き出した。
その軽い苛立ちが、自分が大いに流された結果であるということに、光琉はこの時点ではまだ気が付いていなかった。
 
 
 
その後、以前より頻度は下がったけれど川田からのメールが復活した。
川田の方が完全に平常運転に戻ったわけではないので、休みの日に連れ回されることはないが、月二回程度のペースで仕事終わりに会って食事をした。
光琉としてはそのくらいの方が、気が楽でありがたかった。
それに案外、川田の新人教育の話を聞くのは楽しかった。自分の新人時代を思い返して苦々しい気持ちになったり、最近入社してくる新人の常識外れな行動に呆れたりと、意外と会話が弾む。
以前に感じていた、共通の話題がない気まずさはいつの間にか消えていた。
七月の半ばを過ぎると、川田の忙しさもようやく一段落したらしい。少し元気が戻ってきたようで、七月の月末前に会ったときには、人目を盗んでのキスの合間にさりげなく腰から尻を撫でられた。
抵抗しようとする手は難無く払われ、抗議も笑ってかわされた。
以前から思っていたが、本当にその手際の良さには感心してしまう。
けれど同時に、そういう川田の態度がなんとなく癪に障った。軽くあしらわれているような気がするのだ。
だからと言って、がっつりとキスされて触られたい訳では、勿論ない。決してない。むしろ身体に触れられるのは相変わらず苦手だ。スキンシップ慣れしていないというのも大きいけれど、一番はやはりあれのせいだ。
川田に触れられると、どうしても同窓会の翌日に川田にされたことを思い出してしまう。それが引き金になって、あのときの恐怖や痛みが蘇ってくる。
できればああいうことになるのは避けたい。いや、やっぱり全力で避けたい。
そうすると川田とは会いたくない、という方向に気持ちが傾く。その反面、やはり普通の友人として仲良くしたいという気持ちも根強くある。
二つの気持ちが天秤にかけられて、その時々でどちらかに傾く。簡単に相手への姿勢が揺らぐのは自分の悪いところだと自覚しているが、今の光琉にはどちらかだけを選ぶ勇気はまだない。
そんな迷いを引きずったままだったので、先日した八月後半の約束が近付くにつれて、光琉の気持ちはまた重くなり始めていた。