清想空

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open05.04.12
もう一度会えたら、その後に 第11話
 その日は、もはや夏らしいなどという表現におさまらないほど、朝から暑かった。
内勤の光琉ですらあまりの暑さにうんざりしたのだから、営業で外回りをしていた川田はその比ではなかったのだろう。夜になっても暑さを残したままの空気に、心底嫌そうな顔をしていた。
「あーっ、ビールがうまいっ。生き返るわー」
よく冷えたジョッキビールを勢いよく飲んで、川田はようやく人心地がついたようだ。実においしそうな飲みっぷりに、思わず光琉の口元も緩んだ。
「いやー今日は暑かった」
「今日は暑かった。そっちは外出るから大変だろ」
「そりゃもう、汗だらだら。タオル、飲み物、扇子は常備してないとやってらんないよ。これでクールビズがなかったらもう無理」
本当は日傘がほしいけど男がやるのはちょっとなあ、と顔をしかめた川田が残りのビールを呷る。
冷たいビールが火照った身体に心地良いのだろう。すぐに二杯目を頼もうとして、グラスの中身が少ない光琉にも声をかけてくれた。
その時点で、いつもより飲むペースが早いことに気付いてはいた。けれど光琉も冷たくておいしいカクテルの誘惑には勝てず、早々に二杯目を頼んだ。自分の酒の弱さは知っているので、あまりアルコールの強くないものを選んでおいた。
ここまでは、飲むペースがいつもより早いと意識していられた。それなのに、しばらくして出てきた料理に舌鼓を打っている間に、それはどこかへ吹き飛んでしまっていたらしい。翌日が土曜日で休みだというのもいけなかったのだろう。
話題が件の新人のとんでもない言動から取り留めのない世間話に移る頃には、光琉も川田につられるようについつい杯を重ねてしまっていて、かなり酔いが回り始めていた。
普段ならもう少しセーブしているのに、今日はどういう訳か完全に失敗した。
川田と会話している間も、ふとした瞬間に視点が定まらなくなり、猛烈な眠気に襲われる。
これはまずい。かなり酔っている。
その判断をできるくらいには理性的だったので、カクテルがまだグラスに半分ほど残っていたけれど、すぐに飲み物を烏龍茶に切り替えた。それでも元々がアルコールに弱いので、酔いの症状は簡単にはおさまらない。
どんどんと烏龍茶を頼む自分の呂律があやしいのがわかる。
それが認識できているので、意識はまだそれなりに活動してくれているようだが、身体の方は感覚が大分危ないような気がする。アルコールは麻酔と同じ効果をもたらすのだから、神経を鈍らせるのも当然だ。
そういえば連日の猛暑で身体が疲れ気味だった。そこにアルコールを投入すれば酔いやすくもなる。そんなことにいまさら気が付いてももう手遅れだった。
強制的に目を閉じさせるような強烈な眠気で船を漕ぎそうになるのをなんとかこらえ、瞬きを繰り返してやり過ごそうとした。けれど瞼が重くなるのはどうにもならない。
頑張ってなんとか川田の話についていっていたが、これ以上はさすがに無理そうだった。
「川田、ごめん。俺、なんかもう、だめだ……」
「眠い? さっきから眠そうな顔してる」
「すごく眠い。飲み過ぎた。このまま寝そう」
「飲み始めも早かったし、今日はこれで終わりにするか」
川田が手元の時計を見る。時間はまだそんなに遅くはないはずだ。
「ごめん」
「別にいいよ。謝るなよ」
川田はまだ飲み足りないだろうに、笑って許してくれた。
ああ、そうだ。これが川田だ。
酔っ払った頭の中で、高校時代の川田と今の川田がきれいに重なった。
大人になった今でもどこか愛嬌のある笑顔。クラスの中心にいて皆に好かれていた人気者。
その川田が光琉と一緒に酒を飲んでいるなんて、とても不思議な光景だ。
ああ、不思議だ。
ぼんやりと川田を見ていた光琉は、川田から返された視線で我に返った。
なにやってるんだよ……。
完全に酔っ払っている自分にため息をついて、光琉は腰を上げた。
「……ちょっと顔洗ってくる」
どれくらい効果があるかはわからないが、顔を洗えば当座の眠気覚ましにはなるだろう。
「じゃあその間に会計しとくから、後で半額払ってな。会計終わったら俺もトイレ寄る」
「わかった」
頷いて慎重に立ち上がると予想通り足元がふらついた。まっすぐ歩けないというほどではないけれど、ふらふらしないように注意して店の出入口の近くにあるトイレへと向かった。
トイレは適度な照明とダークブラウンの木材を基調にしたゆったりとした空間になっていて、トイレとは思えないほど優美で落ち着いた雰囲気だった。調度品も品よく揃えられていて、トイレでなければソファにでも腰掛けてくつろぎたい気分になる。
「はあ」
感嘆と誰もいないことへの安堵から光琉は息を大きく吐いた。
先に用を済ませて、手を洗うついでに顔を洗う。連日の暑さのせいで家の水道から出てくる水は温いけれど、ここのは冷たくてアルコールで熱くなっている頬には気持ちいい。
数回水を打ち付けるといくらかすっきりした。手持ちのハンドタオルで顔を拭いていると会計を済ませた川田が入ってきた。
「大丈夫そうか」
「なんとか。とりあえず少し目が覚めた」
酔いがさめるわけではないが強烈な眠気はひとまず飛んでいった。どうせ一時的なものですぐに睡魔に襲われるだろうが、それでも気休めにはなる。
「そうか」
洗った手を備え付けのペーパーで拭いた川田が、壁に張られた大きな鏡越しに視線を寄越してきた。それを何気なく見返していると、いきなり腕を強く掴まれて手近な個室へと引きずり込まれた。
「ちょっと川田!?」
バタン、ガタと音がして川田の背後でドアに鍵がかけられる。
え? なに? なにっ?
一体何が起きたというのか。
訳がわからないうちに川田が身を寄せてきて唇を塞がれる。咄嗟に逃れようと後退りすると、ふくらはぎに便座が当たってそれ以上逃げられなくなった。
川田の唇が執拗に追いかけてきて呼吸を奪う。
「んーっ……んんっ」
やめろと言いたくても言葉を発することができない。今回も力では敵わず、片や光琉の腕を捕え、片や背中に添えられた川田の手からは逃れられない。
途中で軽く離れてもまたすぐに再開されるキスに、息が続かなくなってきた。幾分目が覚めたからといって、アルコールが抜けたわけではない。息苦しさと酔いのせいで目が回りそうだ。
そうこうしているうちに限界がやってきて、川田の背中を叩いていた腕がだらりと垂れた。もう腕を上げていられない。
身体がふらつきそうになって、それに気付いた川田がようやく顔を離した。アルコールのせいもあって二人とも顔がうすら赤い。
「……ふう」
「はあ……は……、かわ、た」
名前を呼んだ声は息切れでみっともなく掠れていた。
「村野、……村野」
川田が応えるように光琉の名を口にし、ぎゅうっと抱きしめてくる。身体ごとぶつかってくるような勢いだ。
「ちょ、と、川田、なんだよ」
こんなところで――優美な空間とは言えトイレはトイレだ――いきなりなんなのだ。誰か来るかもしれないし、二人の荷物は手洗い場に置きっぱなしだ。気が気でない。
「俺、充分待ったよ」
「え?」
「去年からずっと待ってた。そりゃ年明けてから夏前までは、なかなか会えてなかったけど、それでも」
待ってたと言われて肩にぐりぐりと顔を埋められる。いつかのときと同じだ。あのときは微笑ましさに似た気持ちを抱いたけれど、今はそれどころじゃない。川田が何を言い出すかと不安で動悸がする。
「なあもういいだろ? 今日、連れて帰りたい」
背中を抱く腕にいっそうの力がこもった。
このときの光琉の心情を表現するなら、『ぎゃっ』だ。
自分から考える時間をくれと言っておきながら、そんなことは頭からすっぽり抜け落ちていたのだ。というよりも、まだそれを考える段階までいっていないというか。
光琉の中では相変わらず、川田に会いたくないという気持ちと、友人になりたいという気持ちの天秤がゆらゆらと揺れている。川田と友人だときっぱりはっきり断言できるほど、関係を築けていないという感覚も強い。
だから川田自身の気持ちをどこかに置き忘れていた。
――いや、違う。
川田はその時々に言葉で、態度で気持ちを示してきたはずなのに、光琉がそれをきちんと受け止めていなかっただけだ。
ここにきてようやく自分の迂闊さに気が付いて、光琉は焦った。
どうしよう。どうしよう!
頭の中ではその単語だけがぐるぐると回って、思考は完全に停止したままだ。酔いに緊張が上乗せされて鼓動はさらに速くなって、ばくばくと激しく自己主張している。
密着している川田にも伝わってしまっているのではないだろうかと不安になる。
「村野、返事は?」
川田は律儀にも返事を求めてきた。
「いやだ」
それにつるりと本音を返してしまったのは、きっと動揺と酔いのせいだ。
「だって、あれは気持ちよくない」
昔から酔いすぎると、言わなくてもいいことまでぺらぺらと話してしまう癖があった。喋るのはたいてい自分のことばかりだが、酔いが冷めた後でなんであんなことを喋ってしまったのかといつも後悔する。
今回もそうだった。自分のものではないようなふわふわとした声が、勝手に言葉を紡いでいた。
「……わかった」
まずいことを言ったと気付いたときには、すでに川田の抱擁は解かれていた。
「川田、あの」
「今日は帰ろう。村野は結構酔ってるみたいだし」
いつもと変わらない声音で告げ、背を向けて個室から出ていく川田を追いかけようとして、できなかった。動悸の影響なのか酔いが一気に足にきて、ふらふらと壁に倒れかかかってしまったのだ。
「うう……」
ほんの軽いめまいのようなものにも襲われて、ぐるりと視界が回るような感覚に目を閉じた。瞬間的に自分が立っているのか、転んだのかもわからなくなる。
「大丈夫か?」
「う……ん……」
大きく深呼吸し、咄嗟に閉じてしまった目をゆっくりと開く。
「たぶん、大丈夫だと、思う」
多少焦点が合わない感じがするけれど、目が回るような感覚は消えていた。足に力を入れて壁から身体を離してみると、若干覚束ない感じはあるもののきちんと立てる。
たぶん問題はないだろう。
心配そうに川田が手を差し伸べてくれている。なんとなく申し訳なく思いながら、それでもありがたく手を借りて個室から出た。
川田の言う通り、自覚している以上に酔っているのかもしれない。
「ほんとに、今日は飲み過ぎた……。ごめん、川田」
「気にするなって」
川田は厭う気配もなく光琉を支えて、地下の店から出るのを手伝ってくれた。
その後は奇妙なまでに普段通りのやりとりをして、気を付けて帰るようにと注意されて乗換駅で別れた。
気まずいと感じていたのは光琉だけだったのか、ぎくしゃくとした雰囲気にはならなかった。
一人になって車窓から流れて行く夜景をぼんやり見つつ、光琉は今日の自分の最低さに小さくため息をついた。
少し調子に乗りすぎたんだ……。
ヒーローとまではいかなくても、高校生だった光琉にとって川田は特別な存在だった。明るくて、誰とでも仲良くなれて、不思議な吸引力のある人気者は、近くて遠い存在でもあった。
だからこそ初詣の後から、自分でも気付かないうちに少し舞い上がっていたのかもしれない。
……俺、最低だ。
川田の気持ちを思い切り踏みにじるような行為をした。初詣のときに後悔したくせに、またすぐに同じ轍を踏んだ。
調子に乗るとろくな結果にはならない。
戒めるように心中で呟いて、光琉はもう一度ため息をついた。