清想空

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open05.04.12
もう一度会えたら、その後に 第8話
少し興奮気味のせいか眠気は感じていないが、徹夜明け独特の倦怠感がじわじわと顔を出してきている。自覚はなくても疲れているだろうから、てっきり川田とはこのまま乗り継ぎの駅で別れるものだとばかり思っていた。
そんな考えが顔に出ていたのか、川田がじっと見つめてくる。
その意味もわからず、特段考えもなく足を動かしていたら、いつの間にかホームの先端付近まできてしまっていた。歩く先がなくなったのでどちらからともなく足を止めた。
そこへタイミングよくアナウンスとともに電車が滑り込んできた。
「これ、乗るのでいいんだよな?」
川田が何も言わないのを不審に思いながら、折り返しの始発になった電車を指さす。
「ああ。乗ろう」
「……うん」
すんなりと頷いて電車に乗り込んだ川田に首を傾げつつ、光琉も続いて車内に入った。川田が一つ席を空けて先に座ったので、隣の一番端の席に腰かける。
「なあ」
声を掛けられて、返事をする間もなく腰に手が回ってきて抱き寄せられた。
驚きのあまり何をどうすることもできなかった。
「村野」
川田の顔が近い。それだけでも平静ではいられないのに。
「このままホテル行っていい?」
「……ふぇ?!」
とんでもないことを言われて思わず変な声を出してしまった。
慌てて周りを見回すが、同じ車両に人の姿がないことにほっとする。
その間にも川田に体重を掛けられて壁際に追い詰められ、コート越しに腰を撫で回される。さらには腿の上でも手が這い回りだして、その遠慮のない動きに光琉は顔をひきつらせた。
「あの、ちょっと、川田?」
「うん?」
完全に逃げられない体勢にされて、動揺のあまり声がひっくり返った。一方の川田はうっすらとした笑みを浮かべている。
こういう顔をしている川田は怖い。
「あの、それは、どういう……、ことでしょうか」
身体半分のしかかられるような体勢に息を詰まらせながら、川田の顔を見上げる。
話し方が丁寧語になってしまった理由は自分でもよくわからない。多分緊張しているからだと思う。
もしかしたら怯えたような表情をしていたのかもしれない。光琉の顔を見た川田がふっと小さく笑った。
「かわいい村野を見てたら二人きりになりたい気分になった、って言えばわかる?」
間近で落とされた答えとともに、腿の上に置かれていた手にぐっと力が入った。その瞬間背筋に悪寒が走り、光琉は反射的に腕を突っ張って川田の身体を押し返していた。
「わかんない!」
本当は川田の言わんとすることの意味はわかるけれどけれど、この場合は嘘も方便というやつだ。ここでうっかりわかるなどど言ってしまったら、自分で逃げ道を塞ぐようなものだ。
さすがにそこまで馬鹿じゃない。
と思いたい。これまでに何度か川田相手に失敗しているので、断言しきれない自分が少し情けない。
「えー、嘘だあ」
「嘘じゃない!」
川田の肩が逆らうように強い力で押し戻そうとする。それを思いっきり力を込めて跳ね返した。
「わかったよ」
意外にも今度は両手を上げてあっさりと身を引いた。
てっきりいつかみたいに不満そうな顔をするかと思いきや、なぜかその顔には笑みが浮かんでいる。
――意味がわからない。
「……なに? なんで笑ってんの」
「んー? 別に、なんでもないよ」
気まずいと思いつつたずねてみたものの、川田に答えるつもりはないらしい。
にこにことしてそれ以上口を開く気配がない。
「まあいいけどさ……」
光琉は大きくため息をついて前に向き直り、一度腰を浮かせて座席に座り直した。
その瞬間だった。ほんの一瞬、川田の唇が光琉のそれに重ねられ、すぐに離れていった。
まるでタイミングを図ったようにドアが閉まって電車が走り出す。その振動に揺られながら、光琉は呆然と川田の顔を見た。
「な、に、するんだ」
あまりに突然の出来事に頭の処理が追い付かない。川田といるときはこういうことばかりだ。
「誰も見てないよ」
涼しい顔で川田に言われて、ようやく電車の中でキスされたという実感がわいた。同時に心臓がばくばくと鳴り出して胸が痛くなり始めた。顔は多分真っ赤になっている。
指先も軽く震え始めた。緊張と羞恥心のダブルパンチだ。
時折感じるがたんがたんという振動と走行音だけが響く車内には、川田の言う通り二人以外誰もいない。それでもこんな恥ずかしいシチュエーションには耐えられない。
「誰もいないよ」
どうすることもできないでいる光琉に軽く笑って、川田は再び顔を寄せてくる。今度は来るとわかっていたのに、なぜか避けることができなかった。
川田がもう一度唇で触れてくる。今度は少し長く、何度か啄むように。
「……川田」
拒否しようと思った。電車の中でなんてとんでもないことだ。なにより恥ずかしい。
けれど川田に微笑まれて手を握られて、キスだけと囁かれてしまえば抵抗らしい抵抗もできなくなってしまった。
身体に山頂で感じた高揚感が戻ってくる。それに押し流されるように、数駅を過ぎても乗車してくる人がいない車内で、何度も唇を触れ合わせた。
――あああ、本当に馬鹿じゃないのか。どうしよう。
流されやすい自分を呪いつつ、川田の醸し出す甘さに包まれてしまうと嫌悪感はわいてこなかった。
 
 
 
結局,嫌悪感がなかったという衝撃の事実に光琉が気付いたのは、乗り継ぎ駅で川田と別れて一人になってからだった。
「はあ……」
流れていく車窓の景色を眺めながら気だるいため息をつく。
なんだか疲れた。
川田とは手を繋いでキスをしただけなのに、なにやらただれた元旦を過ごしてしまったような気がする。
こんなことは人生で初めてだ。思えばあんな風に誰かと一緒に年越しをしたのも初めてなら、こんなに甘いやりとりをしたのも初めてで。
思い返すだけで自分はどうかしていたと叫び出したくなる。
その相手が自分と同じ男だという点がどうにも不可解なままだったが、今の状況を受け入れ始めてしまっている自分に、光琉はまだ気が付いていなかった。
 
 
 
落ち着かないような、ふわふわした気持ちを引きずったまま光琉が帰宅すると、リビングダイニングでは朝食をすませた竜琉がコーヒーで一服していた。
「ただいまー」
「お帰り。意外と早かったな」
元日とはいえ、朝の九時半はそんなに早い時間でもないだろう。そう思ったが、竜琉は大学生の頃からいろいろとやっていたので、それと比べると早い方なのかもしれない。
「まあ、初詣のついでに初日の出見てきただけだから」
「ふうん」
竜琉はなんとなく納得のいかなそうな声を出した。
「それより、お父さんとお母さんは?」
「すぐそこの神社に初詣に行ってる」
「あ、そう」
光琉はひとまずコートと荷物を置いて、洗面所へ向かった。手洗いうがいをして軽く顔を洗い、それからキッチンへと行ってぬるめのホットミルクを作った。
「ふあー、疲れた……」
一息つくと途端に疲れが出てきた。帰宅してほっとしたこともあるのだろう。
とりあえず昼まで寝ることに決めて再びリビングへと戻ると、竜琉が話しかけてくる。
「なあ、光琉。お前寝てきたか?」
「え?」
いきなりなんだと視線をやると、兄がじっと見返してくる。
「徹夜したから、これから部屋で寝るけど……」
「いや、そうじゃなくて」
何か変な顔でもしているだろうかと心配になりながら答えると、竜琉は少し妙な顔をして言葉を変えた。
「はっきり言うと、お前ヤってきた?」
「は?」
竜琉が何を言いたいかがよくわからない。
やってきたって、だれが? なにを?
考えながら首をひねった瞬間、何かがピンと繋がった。ようやく意味を悟った光琉は、驚きのあまり目を剥いた。
「薮から棒になんだよ。大体、一緒に行ったのは男だって」
「や、だから、その男と寝てきたのかって聞いてるんだよ」
「男とって……」
まるでさっきまでの光琉と川田を見ていたような問いだ。こういうところで持ち前の勘の良さを発揮するのはやめてほしい。
「まさか。一緒だったのは友達だよ」
あからさまな動揺を見せないようにするのが精一杯だった。
疑われるような事実は実際になかったのだが、この勢いではなかったこともあったことにされてしまいそうで恐ろしい。
「っていうかどうしたんだよ、急に」
「なあーんかなあ。光琉の雰囲気が寝た後っぽい感じなんだよなあ。なんつーか色疲れ?」
「は?」
「なんかこう妙に気だるげで、地に足がついてない感じでさ、なんとなく色があるっていうか」
この兄は一体何をどこまで知っているのか。思わず疑いたくなる。額に千里を見通す第三の目でも隠しているのだろうか。
「て、つや明けだから……そんな風に見えるんじゃない?」
さすがにこれには動揺を隠せなかった。こんなことを言われたら誰だって動揺するだろう。
大体、なぜ実の兄からこんなことを言われないといけないのだろうか。そこからして疑問だ。
「……その前に、なんで男同士でっていうのが出てくるのかを、俺は知りたい」
「なんとなく俺の知ってるやつらの雰囲気に似てるんだよなぁ」
「……そんな人いるの?」
「ああ、まあ、周りに何人か」
兄の答えに光琉の方が驚いた。そんなに自然に認められるものなのだろうか。
不思議に思ってから、そういえば竜琉はあまりそういうことにはこだわらない方だったと思い出す。相変わらず竜琉の交友関係は広くてオープンらしい。
「へえ……。でも俺は違うよ」
光琉は考えすぎだと苦笑して返した。少なくとも事実だ。
竜琉は一瞬だけ考えるようなそぶりを見せて、そう言うならそれでもいいけどと息を吐き出した。
どう考えても光琉の言うことを信じていない。
「もしいろいろ知りたくなったら紹介してやるから遠慮なく言えよ」
「……だから違うって。というかさ、紹介ってそんな簡単にしていいもんなの?」
「んあ? 特に問題ねーよ。光琉にだったら人柄が保証できる人をちゃんと紹介するから心配すんな」
「そこじゃない。その人がその、なんていうの? そういう人だってことを、そんなに簡単に他人に教えていいのかよ」
普通そういうのは隠したがるものではないのか。
「何言ってんだ、俺だって話す相手くらい選ぶ。光琉なら言い触らしたりしないだろ。まあ光琉の場合、意識しすぎて多少挙動不審になるかもしれないけどな」
あっさりと言われて言葉に詰まった。竜琉の言う通り、相手にどこまで踏み込んでいいのかわからず、うまく距離感が掴めないだろう自分の姿が簡単に想像できてしまう。
「前にも他のやつに紹介してるし、そこら辺は心配するな」
「いや、だからさ」
光琉はまだ何も認めていないのだが、すっかり竜琉のペースになってしまった。言い訳を試みる光琉には構わず、竜琉は少し遠い目をして何かをぼやいている。
「ただなあ、あの人もまだふらふらしてるからなあ」
どうやら今何を言ったところで無駄なようだ。
……まあいいか。
大きなため息をついて、光琉は兄に抗議するのを諦めた。
きっと紹介を頼む日などこないよと思いながら。