清想空

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open05.04.12
もう一度会えたら、その後に 第7話
「さ、む、いーっ」
言えば寒さがどうにかなるわけではない。そうとわかっていても言葉にせずにはいられず、光琉は足を小刻みに動かしながら白い息を盛大に吐き出した。
今、光琉は標高六百メートルあまりの山の頂にいる。なぜかと言えば勿論川田に誘われたからだ。
午前一時を過ぎてからようやく初詣を済ませた光琉と川田は、すぐに駅前のファミリーレストランに入った。新年早々そんなところを利用するのもどうかとは思ったが、身体が冷えてしまったのでとにかく温かいところに行きたかったのだ。
温かい飲み物を腹に入れてほっと一息ついたところで、川田についでだから初日の出を見に行かないかと誘われた。
普段だったら絶対に断っていた。
けれどそのときの光琉はすんなりと頷いてしまっていた。
なぜ頷いたのか、自分でもよくわからない。多分、初詣のときの少し浮かれた気分を引きずっていたのだろうと思う。
いつもだったら寝ている時間に起きていたから、少しハイになっていたのかもしれないし、頭のねじが少し緩んでいたのかもしれない。
とにかく頷いてしまった光琉はそのまま川田と一緒にファミリーレストランで時間を潰し、電車で三十分ほどの距離にあるこの山へとやってきたのだった。
あまり標高が高くないとはいえ、山の上は地上に比べると空気が冷たい。じっとしていると温かいコートをまとっていても、しんとした冷たさが足元から這い上がってくる。
温まった身体は早々に冷気に取りつかれてしまった。
「はあ」
ため息とも付かない息を大きく吐き出す。
こんなところで何やってんだろ……。
暗闇に大きく広がった白い息を見ながら、そう思う。
光琉一人だったら絶対にこんなことはしない。それに一緒にいる相手が川田という状況がおかしすぎる。
どう考えても、俺はどうかしている。
子供の頃から何度も登ったことのある山の麓に着いたとき、我に返った。なのにこの変な状況を嫌だとは思わなかった。
俺、流されてんのかな。……どう考えても流されてるよな。
眼下に広がる広大な闇を見ながら冷静に考える。
日の出の時間まであと小一時間ほどあり、眼下だけでなく山頂も暗闇に包まれている。星がまたたいているとはいえ今夜は月がないため、地上を照らすほどの明かりはない。
隣の人の顔すらうんと近付かなければ見えないような暗さだ。
それでも同じように初日の出を拝もうと、結構な人数がこの場所に集まってきている。姿がはっきりとは見えるわけではないが黒いシルエットだけはなんとなく判別できる。
皆真夜中によくやるものだ。
自分のことを棚に上げて思った光琉は、寒さにぶるりと身体を震わせた。
登山するとは思っていなかったので、光琉の装備は万全とはかけ離れている。せめてカイロでもあれば少しは違っただろう。途中で買うという選択肢に気付かなかった自分を恨みたくなる。
「うう、さむ……」
冷えはすでに腰のあたりにまで上がってきているし、指先も手袋をしていても伝わってくる寒さで凍り付き始めている。登山で発生した熱など早々に奪い取られてしまっていた。
コートの上から腕をさすりながら足踏みをしても、身体は芯から冷えてしまっていてちょっとやそっとのことでは温まらない。
隣に立っていた川田がそんな光琉の様子を見て笑みをこぼすのがわかった。顔が見えたわけではなく、こぼれた息がいかにも笑った感じだったのだ。
体温が高いのか、寒さに強いのか、川田は平気そうな様子だ。
まったくもって羨ましい。
高所特有の澄んだ空気は心地良いけれど、あと一時間も冷え切った身体と肌を刺すような寒さに堪えなければならないのかと思うとめげそうだ。
徹夜の眠気も寒さと時折吹く冷たい風のせいで吹き飛んでしまっている。
とにかく夜明けが待ち遠しかった。
「うううー」
「村野、こっち」
寒さに呻く光琉を見かねたのか、ふいに川田が腕を引いた。
引っ張られるようにして連れていかれたのは、昼間に営業しているうどん屋の店舗の裏側だった。ちょうど山の西側で、日の出の方向とは逆側になるせいか他には誰もいない、ように見える。
「ここ座って」
「川田?」
「いいから」
促されるまま膝のあたりまで高さがある大きな平たい石の上に腰を下ろす。
「こっち向きで座れば日が出てきたらわかるし、問題ないでしょ」
そう言って笑った川田が光琉の右隣に腰掛けてぴったりと身体をくっつけてきた。何かされるのかと咄嗟によけようとして川田に制される。
「……川田?」
「手出して」
「え?」
「いいから右手を出して」
川田が何をしたいのかよくわからなかったが、言われるまま右手を差し出す。するとすぐに手を握りこまれて、川田の手もろとも彼のコートのポケットに突っ込まされた。
驚いたものの、すぐに手袋を通してじんわりとした温もりが伝わってくる。川田の掌と光琉のそれの間にある少し固い感触の正体はカイロだろう。
「寒いし、こうしてれば手繋いでても目立たないだろ。暗いし、男同士ってのもすぐにはわかんないだろうし」
そう言っていっそう身体を押し付けてくる。コートを着ているので直接温かさを感じるわけではないが、冷たい空気にさらされる面積が減っただけ多少はましになったような気がする。
川田の言う通りこの暗闇では、遠目には自分たちがここにいるとはわからないだろう。そのことに少し安心する。
「村野の手冷たい」
ポケットの中の手をぎゅっと握られる。カイロだけでなく川田の手の温もりに包まれて、なぜかほっとした。
「……ごめん」
「なんで謝るの」
「俺の手冷たいんだろ」
冷え症のせいか一度冷えると温度が戻りにくく、温まるのに時間がかかる。ということは、その間川田から体温を奪い続けることにもなるのだ。
「大丈夫だよ。俺体温高いから。カイロもあるし」
そう言って強く握ったり弱く握ったりを繰り返される。そうしているうちにいつもより早いペースで手に温度が戻ってきた。
少し気分が高揚しているからなのかもしれない。胸の鼓動がいつもより早いような気もする。
そのことに気が付いた光琉は慌てた。
……いや、それはなんか、まずくないか。ていうかまずいだろ。
川田に手を握られてどきどきするとか、絶対おかしい。
これってまさか世に言うつり橋効果というやつか? いや、どっちにしろまずいって。
内心で一人慌てながら、それでも光琉は人が来ないのをいいことに川田と二人でくっついたまま日の出までの時間を過ごした。
どちらも話しかけるようなことはなかったけれど、なぜか沈黙は苦にならなかった。時折握り方を変える川田の手の動きに少しばかり動揺したけれど、それを表に出さないように光琉はひたすら東の空へと目を向けていた。
そうしているうちに空の端がじわじわと闇色から紫色へと変わり始めた。太陽が顔を見せるまでにはまだ時間がかかるのだろうが、どんどんと空が明るくなって描かれるグラデーションはとても美しい。
普段の生活ではなかなか日の出を目にしないので、その美しい色合いがとても印象的だった。
「綺麗だな」
「……うん」
きっと同じように感じていたのだろう。川田の呟きに光琉は頷いて答えた。
するとすぐに川田の顔が近付いてきて、軽く光琉の唇を塞いだ。
「!」
大袈裟なくらいに心臓が鳴ったと感じたときには、すでに川田は離れていた。
「すごく綺麗だったから」
余韻でどきどきと強い脈打ちを感じている光琉とは対照的に、川田はあっさりと言った。まるで当たり前の行為だと言わんばかりに告げられて、顔が紅潮する。
皆、東の空に集中していて、誰も見ていなかったに違いない。それだけが救いだ。
今この瞬間、自分がどんな表情をしているのか光琉にはよくわからなかったが、とにかく猛烈に恥ずかしかった。
「それ、関係ないだろ……っ」
なんとか言い返したものの、目を細めた川田が光琉を見つめているのがはっきりと見えてしまって、結局は俯くことしかできない。
キスしたことを怒るとか、誰かに見られたらどうするとか、こんなところでそんなことするなとか、他に言うべきことはいくらでもあったはずなのに、一つも口にはできなかった。
「もう少ししたら太陽が出てくるの見れるかな」
そう言ってポケットから手を出した川田が立ち上がった。すっかり温まった右手を解放された光琉も川田に腕を引かれて腰を上げた。
そのまま日の出がよく見える方に連れていかれる。その間も光琉は川田の顔を見ることはできなかった。
ああ、もうっ……。
さっきまでよりも一段とうるさく鳴っている鼓動と熱い顔が恨めしい。光琉はいろいろなものを覆い隠すように、ひたすら川田に取られた腕に視線を睨み付けていた。
「ほら、村野」
「う、わあ!」
けれど川田に声を掛けられて地上に顔を出した太陽を目にしてしまえば、やはり自然の大きさを感じるだけで一杯になってしまった。
認めるのは悔しいけれど、川田に連れてきてもらってよかった。
そう思いつつ、これってやっぱり川田の掌の上で転がされているということだろうか、とも思う。
「村野」
他の人がご来光を拝んでいるのをいいことに、川田が堂々と手を繋いできた。周りに人がいるので変な反応もできず、光琉は黙って眉間に皺を刻んだ。
同時に、手袋越しとはいえしっかりと繋がれた手をどうしても意識してしまう。
俺、本当にこんなところでなにやってるんだろう。
自問するものの、雰囲気に流されている自分をどう修正したらいいのか、まったくわかなかった。
せめて顔が赤く見えるのが、太陽の光のせいだと思われていますようにと願いつつ、光琉は隣にいる川田の存在をどうしようもなく意識せずにはいられなかった。
ありがたいことに川田は、始終落ち着かなかった光琉の様子には気付かなかったようだ。何を言われることもなく、のんびりと太陽が地平線から離れる頃まで山頂で初日の出を拝んでから下山した。
麓に着いた頃にはすっかり明るくなっていて、元日とは言え急に日常に戻ってきたような気分になった。まるでさっきまでの特別な瞬間が夢だったように感じる。
「さて、この後どうする?」
「この後?」
麓から出ている一駅だけのローカル線から通常路線のホームへと移動しながら、川田が問いかけてきた。