清想空

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open05.04.12
もう一度会えたら、その後に 第6話
年末が近付くにつれて気が重くなっていく光琉とは対照的に、空模様はすっきりとした快晴の日が続いていた。
それを恨めしく思いながら慌ただしく仕事納めを迎え、休みに入った光琉が実家に戻ったのは晦日の、すでに周囲が闇に沈んだ後になってからだった。
「ただいまー」
荷物を玄関に置いて靴を脱ぎながら声を掛けると、光琉と同じく実家に戻ってきていた兄の竜琉<たつる>が顔を出した。
「おう、お帰り」
人好きのする笑みを浮かべる三歳年上の兄に会うのは久しぶりだ。見たところ、相変わらず元気らしい。もっともこのパワフルな兄が元気でないときなど、光琉はほとんど目にしたことがない。
竜琉は光琉と違ってタフなタイプで、どれだけ無茶を続けても倒れることがない。バイタリティーも半端ではないし、交友関係も光琉とは比べ物にならないほど広い。
繊細な感性を持ちながらも豪放磊落という兄を光琉は好いているけれど、同時に強いコンプレックスも抱いている。竜琉には絶対に敵わない。そんな風に思えるくらい、弟の目から見ても魅力的な人間なのだ。
「最近あんまり会ってなかったけど元気にしてたか?」
「んー、まあ、ぼちぼち。ここんとこは仕事でばたばたしてたかな。兄貴は?」
「まあ年末が近いとどうしてもな。ようやくゆっくりできそうなところではあるんだけど……」
リビングへと移動しながら竜琉が言葉を濁した。思い切りのいい方の竜琉にしては珍しい。
けれど何かあったのかと問いかける前に、触れられたくない話題を振られた。
「そういえば光琉、明日の夜はいないんだって?」
「あ、うん……」
竜琉のことだから聞かれるだろうと思っていたが、まさか初っ端からくるとは考えていなかった。
「お、さてはついに光琉も年越しデートかあ?」
答えに詰まった光琉をどう思ったのか、竜琉が口元をわざとらしく持ち上げる。にやにやと笑うそれがポーズだとわかっていても腹が立つ。
「違うよ」
光琉は少しだけむっとした口調で答えた。
「普通に友達と初詣に行くだけ。一緒に行くのは男だし」
「なんだ、そうなのか。ようやく光琉にも彼女ができたのかと思ったのに」
「大きなお世話。俺のことは放っておけ。それより自分の方こそ、麻子<あさこ>さんとはどうなんだよ」
竜琉には口で勝てたためしがないので早々に話題を変えた。負け戦とわかっていて同じ土俵に立つのはごめんだ。
竜琉も弟の負けず嫌いを知っているから、必要以上に深追いはしてこないだろう。
「ああ、そうそう麻子といえば」
予想通り竜琉はそれ以上の追求を止めた。
こういう、人との距離感を誤らないところが竜琉の長所でもある。対人関係においては引っ込思案なタイプの光琉からすると羨ましいところだ。
「光琉にはまだ言ってなかったけど、結婚が決まった」
「おおっ、ついに結婚かあ」
「まあな。俺も三十になったし、今が決め時だろ」
嬉しい報告に光琉は屈託のない笑顔を返した。
麻子は竜琉が大学生のときから付き合っている恋人で、数回しか会ったことはないが、なんというか気っぷのいい女性だ。人の機微には細かいけれど基本的にはおおらかな兄とはお似合いで、いつ結婚してもおかしくないと前々から思っていた。
「そっか。おめでとう」
「おう、ありがとう。あー、でもなあ、これからが大変なんだよな……」
笑顔から一転、眉をひそめて竜琉が結婚がいかに大変かを語り始める。どうやらさっき言葉を濁したのは、仕事が片付いても結婚の準備で忙しくなるからのようだ。
「でもそれも必要な苦労ってやつだろ?」
「そりゃそうだけど、お前、本当に大変なんだぞ。家族の顔合わせもあるし、式場探しもしなきゃなんないし」
それだけでなく挙式の日取りを決めたり、披露宴の招待客のリストアップ、招待状の作成、式の段取り、新居への引っ越し準備など、やることは山盛りだ。
さすがの竜琉も先々のことを考えて今から目が回りそうになっているらしい。顎を撫でながら天井を見上げて珍しくため息をついている。
珍しい兄の様子に同情しつつも、光琉は励ましの言葉を送った。
「まあ頑張れよ」
「そういうお前もな。早くいい相手見付けろよ」
「だから大きなお世話だっての」
「ああ、はいはい」
まったく気持ちのこもっていない返事をした兄を光琉は軽く蹴飛ばしてやった。
「いってえな。少しは兄を労われよ」
「うるさい」
ぶつくさと文句を言う竜琉に、光琉はついでにもう一発食らわせてやった。
 
 
 
翌日の大晦日の夜、光琉がパジャマ姿の母親に見送られて家を出たのは二十三時を回った頃だった。
「うー、さむ」
さすがに年末のこの時間になると外は凍えるほど寒い。暖かいダウンコートを着てきたのは正解だなと思いながら、高い衿の内側に巻いたマフラーを顎にかかる位置まで引き上げた。
呼吸のたびに白い息が現れては闇へと溶け込んでいく。それを見ながら光琉は速いテンポで駅へと向かった。
川田とは最寄り駅から二十分ほど離れた駅で待ち合わせの約束をしている。
目的地はそこから歩いて十五分の距離にある、そこそこ名の知られた神社だ。光琉は名前を知っているだけだが、近くの参道の道幅がかなり広いので参拝客は多いのだろう。
「ふう……」
駅で予定通りの電車に乗った光琉は軽く息を吐き出しながら座席に腰を下ろした。
暖房がきいている割にどことなく寒く感じる車内だが、座席はしっかりと温かい。コートを通して伝わる温もりに光琉は身体の力を抜いた。
年末や新年のイベントの多い大晦日とはいえ深夜に近い時間のせいか、車窓から見える景色は点在する街灯やマンションの明かりの他は闇一色だ。終夜運転のがらがらの車内からそれを見ていると静寂に包まれた空間にいるような気分になる。
不思議な空気に身を浸してぼんやりと外を眺めながら心地良い振動に揺られ、途中で路線を乗り換えて待ち合わせの駅に向かった。
目的の駅に着いて改札を出るとすぐさま川田が手を挙げて合図を寄越した。余裕を持って出てきたので待ち合わせの時間にはまだあるが、川田はそれより早く来ていたらしい。
光琉が近寄っていくと、川田はいじっていたスマートフォンをコートのポケットにしまった。
「ごめん、けっこう待たせた?」
「いんや。俺が早く来ただけだから」
光琉の問いに答えるその顔がどことなく嬉しそうに見える。
「?」
何かいいことでもあったのだろうか。
不思議に思って首を傾げると、川田はほっとしたようによかったと呟いた。
「もしかしたら来ないかもしれないと思ってたから」
安心したように笑みを見せる川田に咄嗟に返す言葉が見付からなかった。
光琉にはボイコットするという選択肢はなかった。
約束したからには守る。それが最低限のマナーだと思っている。
だからここに来た。それだけだ。そこに光琉の積極的な意志があったわけではない。
きっと川田は光琉のそういう部分を敏感に感じ取っていて、だから来ない可能性もあると考えていたのだろう。
「……」
急に後ろめたい気持ちがわいてくる。
気が乗らないからとはいえ、光琉は川田の気持ちを踏みにじるようなことをしている。
その事実が重く、光琉は視線を下げた。
「……約束、したし。よほどのことがない限り、約束は破らない」
後ろめたさに満ちた答えだ。
それに気付いたはずなのに、なぜか川田は頷いた。
「うん。村野はそうだよね」
「……は?」
あっさりと認められて拍子抜けしたのは光琉の方だ。
「村野はそういうところ真面目だし、きちんとしてるよね」
言われた内容に光琉は目を見張った。
川田が光琉の何を知っているというのだろう。川田と一緒に何かをしたことなど数える程度しかないし、それも今より十年前の方が多かったくらいなのだ。
それなのになぜそんな言葉が川田の口から出てくるのか。一体川田には光琉がどんな風に見えているのだろうか。
「……別に、当たり前のことだろ」
面はゆくなった光琉は視線をそらしたまま、ぶっきらぼうにそう答えることしかできなかった。
そんな光琉の姿を見て川田が目を細めたことには気付かなかった。
「んじゃ、行くか」
「あ、うん」
それ以上追及せずに歩き出した川田に促されて、光琉も慌てて後を追った。
 
 
 
「うわ、なんだこの人の数……」
「俺もここに来るのは初めてだけど、話に聞いてた通りすごいな」
まだ日付が変わるには時間があるにも関わらず、すでに神社には長蛇の列ができていた。
どうやら地元ではかなり有名どころらしい。境内には破魔矢やお守りなどを販売するテントだけでなく、いろいろな店が出ていてにぎわっている。
「列の最後尾はあっちだってさ、村野。行こう」
「ああ、うん……」
左右に折り返しながら連なっている列の最後尾に二人で並ぶと、その後ろにもどんどんと人が並んでいく。かなり広い境内がすぐにいっぱいになってしまいそうな勢いだ。
「こんなだとは思わなかった。なんかすごいな」
きょろきょろと辺りを見回しながらそう言うと、列に沿って無料で配られている甘酒を川田が取ってくれる。
「ここ結構有名らしいからな。はい、甘酒」
「あ、ありがとう」
手袋を外して受け取ると紙コップから甘酒の熱が伝わってくる。寒空の下で待っている身にはとてもありがたいけれど、猫舌なので飲めるようになるには少し時間が掛かりそうだった。
「そういえば村野って酒はあんまり強くないんだっけ?」
「……うん」
成人してからはとんど付き合いのなかった川田がそれを知っているのは、あの同窓会がきっかけだったに違いない。
ひと月ほど前の出来事を思い出すと苦い気持ちになる。あれがすべての始まりだったのだ。光琉にとっては人生で一番ひどい思い出でもある。
「甘酒は大丈夫なのか?」
「まあ。このくらいじゃあさすがに酔わないし」
「そっか。ま、そりゃそうか」
夜の冷気にさらされて少しずつ冷えていく甘酒をちびちびと飲む。
「俺、小さい頃は近所の神社に初詣に行ってたけど、大人になってからくるのは初めてだ……」
「へえ、そうなんだ。俺はなんだかんだ言って毎年どどこかしらには行ってるな。最近は仲のいい連中と近場のとこがほとんどだけど」
高校生の頃もイベントが好きでお祭り騒ぎしていた川田らしい。愛嬌があって、憎めない性格は大人になってもきっと変わっていないのだろう。
そう思うと自然と光琉の口元にわずかな笑みが浮かんだ。
「ふうん……」
その後もぽつぽつと川田と言葉を交わした。互いにいつもより言葉数が少ないのに、それが苦痛ではなかった。
夜中で興奮しているのか。普段の光琉ならしないようなことをしているからか。いつもよりも気持ちがふわふわと軽い。
なんだろうな、これ。
今の状況が楽しいような気もするけれど、本当のところはよくわからない。
このくらいでは酔わないと言いながら、甘酒で酔ってしまったのだろうか。
もしかしたらちょっとした非日常がいつもと違った景色を光琉に見せているのかもしれない。
なんだか不思議な気分だった。