清想空

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open05.04.12
もう一度会えたら、その後に 第5話
十二月も四週目に入った木曜日の夜、ベッドに腰を下ろして本を読んでいた光琉は携帯電話のメールの着信音に気が付いて顔を上げた
もうすぐ二十三時になろうかという時間にメールを送ってくる相手は限られている。こんな時間に誰だろうと眉をひそめながら携帯電話を取り上げて着信を確認すると、メールの送信主は川田だった。
『仕事疲れさん』
新着メッセージの件名に表示されている文字はもう見慣れてしまったものだ。
光琉にとって人生最大の事件が起きた今月頭のあの日以来、川田からは二、三日に一度のペースでメールが送られてくるようになった。あれから三週間、ずっと続いている。
メールの内容はちょっとした日常のことがほとんどで、いかにも川田らしいものだ。友人同士なら実際にありそうなやり取りなので、人との付き合いが希薄な部類の光琉には少し新鮮でもあるのだが、同時に鬱陶しくもある。
というのもメールに食事や遊びの誘いが混ざってるからだ。誘い自体はいかにも軽い調子で、きちんと理由を言って断れば川田はあっさりと引く。
それなのに、川田には何度断っても諦める気配がない。断られることにこたえている感じもないのだ。それが少し怖い気もする。
なんだかんだと誘いを断っていたのをだしに、川田に強引に約束を取り付けられたこともある。それも二回も。
そもそも付き合うと言わないと家に帰さないと脅しをかけてくるような相手に、光琉が勝てるはずもなかった。
「…………」
光琉は新着メールのお知らせを睨んだ。
これまでの経緯を考えると嫌な予感しかない。だからといって妙なところで生真面目な光琉としてはメールを無視することもできない。それに無視したところで川田から確認のメールが入るに違いない。
光琉は仕方なくメールの本文を開いた。
『連休にどこか遊びに行こう』
「げっ」
嫌な予感が当たった。まさか明日の金曜日から始まるクリスマス三連休に誘われるとは思っていなかった。世のカップルなら相手に誘われたら大喜びなのだろうが、光琉は全然嬉しくない。
なにせ相手は川田なのだ。自分を襲った男だ。誘われて喜べるはずもなく、むしろ身の危険を感じる。
断固拒否だ。断固拒否。
それ以外の選択肢などない。とはいえ、今度は何を理由にするか。最近は少々ネタ切れ気味だ。
何か良い理由を見付けないとまたあんな目に遭う羽目になる。それだけは勘弁してほしい。
強引に約束を取り付けられたときののことを思い出した光琉は背筋を震わせた。
川田と出掛けたのはこれまでに二回。一度目はあの日の一週間後。あれ以来体調を崩していた光琉が本当に元気になったのか顔を見て確かめたいからと、仕事上がりに一緒に食事をすることになった。
本当は断りたかったが川田が譲らなかったのだ。顔を見ないと安心できないから、外で会えないなら家に押しかけてもいいかと聞かれて、承諾する以外の選択肢がなかった。
そのときは高層ビルに入っている、綺麗な夜景を望める瀟洒なイタリアンレストランへ連れていかれた。レストランは良い雰囲気の店で料理もおいしかったが、男二人でいるのが場違いに感じられて光琉は終始落ち着かなかった。
やっと食事を終えて店を出たときには光琉は気疲れしてしまっていて、川田に聞こえないように大きく息を吐き出してあと少しだと自分に言い聞かせていた。そのとき突然川田に手を握られたのだ。
『ちょっ、何やってんだよ』
夜遅いせいで人気のないエレベーターホールとはいえ、店から出てくる人はいる。こんなところで手を握るなんて何を考えているのか。
驚いて外そうとしたものの川田の手は離れなかった。
『村野、この後どうする?』
『この後?』
首を傾げた光琉の掌を川田の指が軽く引っ掻いた。その意味ありげな動きに光琉は瞬間的に硬直した。
まさか……、この後って、この後って、そういうこと……?
よもやまさかの展開だ。どうやら川田にとってはこれはただの夕食ではなく、『デート』だったらしい。
嘘だろ。
ここにきてようやく光琉は気が付いた。あのとき川田の口にした『友人から始める』という言葉は、言葉通りの意味などではなかったということに。
馬鹿正直に単なる友人なのだから危険はないだろうと、川田自身を警戒していなかったのは大きな間違いだったのだ。
『ちょっ、ちょっと待て。俺は別にそんなつもりで来たわけじゃ……、ないんだけど?』
慌ててその気がないことを伝えた光琉に川田は不満そうな顔をした。
『なんで?』
『なんでって、そりゃ、だって、そうだろうっ』
そんなことを言われるのはおかしいというように問い返されて、なぜか光琉の方が焦る羽目になった。
『普通、友達っていうのはそういうことはしないだろっ。大体、川田が友達から始めるって言ったんだろ。だったらそういう風に振る舞うべきじゃないのか』
『えー? 意味わかんなーい』
意味わかんなーい、じゃねえ! 意味わかんないのはお前だ!
光琉は思わず心の中で反射的に叫んでしまった。残念なことに口に出して言うような命知らずなことはできなかった。
『折角のデートなんだしさーあ? せめて手を繋ぐのと、あとキスは許してよ』
だからなんでそうなるんだ。
『いや、それはちょっと……』
一体どうすればこの窮地から抜け出せるのだろうか。下手な答えを返そうものなら自分の身が危うくなる状況にどっと汗が噴き出てくる。
『ね? いいでしょ、村野』
答えられないでいると握っている手に力が込められ、さらには妙な迫力のある笑顔でねだられる。こんな風に答えを迫られてどうやって抵抗できただろう。
『えっと……』
『じゃ、早速』
まごまごしているうちに川田は颯爽と光琉の唇を奪っていった。
『どわーっ』
『え、何その反応。傷付くんだけど』
叫んで必死で身を離した光琉の態度に川田は心外そうな顔をしてみせるが、誰だっていきなりキスされたら驚くだろう。ましてや相手が相手なのだから。
『か、川田が傷付くとかはともかく、こ、こういうことを人目のあるところでするのはなし! あ、あと突然するのもなし!』
『突然が駄目ってことは事前申告制ってこと? 許可制?』
『うっ』
突然されるのも困るが、だからといって前もってするぞと言われるのも困る。けれどどちらがより困るかと言えば勿論前者だ。
『じゃあ、……許可制で』
『それならそれでいいけど』
光琉は苦渋の選択の結果そう答えるしかなかったが、後から思えば川田にうまく丸め込まれたような気もする。第一、許可制にしたからといって、その抑制効果はどう考えても期待できそうにない。
――こうなったら自分で気を付けるしかない。川田は爽やかな顔をしてるけど獰猛な肉食獣で、気を許してはいけない相手だ。
そう思い改めて、その日以来光琉は川田からの誘いをこれまで以上に警戒するようになったのだが、それが二度目の『デート』に繋がったのだから皮肉としか言いようがない。
しかも二度目の『デート』の場所は巨大リゾート施設内にある遊園地だ。
休日に、男二人で、遊園地。
それだけでも頭が痛いのに、隣にいるのが警戒すべき川田という状況だったせいで光琉は半日あまりの間気を張り詰めっぱなしでいなければならなかった。おかげで川田と別れる頃には、家に帰るのすら億劫に思えるほど疲労困憊状態になっていた。
しかも警戒していた甲斐もなく川田に何度か隙を突かれていろいろとされてしまったせいで、余計に疲労が増したというおまけ付きだ。
毎度のようにあんな目に遭うくらいなら、もう川田とは出掛けたくない。
それが紛う方なき本音だ。
だからこそ何か良い理由を見付けなければならないのだ。
「……あ!」
うんうんと唸り声を上げて考えていた光琉はちょうどいい理由があったことを思い出し
た。
『ごめん。連休は大掃除をする予定を組んでいるから無理だ』
仕事の年末進行に追われて――それだけはなくいろいろと衝撃的な出来事があったせいもあって――すっかり忘れていたが、もともとこの連休に大掃除をしようと考えていたのだ。
文面を確認した光琉は送信ボタンを押した。
「はー、助かった」
ちょうどいい理由があってよかったと喜んで携帯電話を折り畳んだ光琉は、けれどすぐに叫び声を上げる羽目になった。
「ぎゃーっ。なんでこうなるっ」
『連休がだめなら、代わりに三十一日の夜から元日は俺のために空けておくように』
川田からの返信は有無を言わせぬ雰囲気で、光琉は携帯電話を持つ手をぶるぶると震わせた。
しまったと思っても後の祭りだ。完全に足元をすくわれた。
いや、でも、まだ何か手はあるかも。
必死で考えを巡らせようとする光琉のもとに追加でメールが届いた。
『それも駄目なら明日、村野の家に行ってもいい?』
追い打ちをかける内容に光琉のなけなしの反抗心は砕かれた。
やめてくれ。やめてください。それだけは絶対にやめてっ。
光琉はがっくりと項垂れた。
完全に逃げ道を塞がれてしまった。川田がこういうやつだと知っていたのにうっかりした。うっかりし過ぎで、『もう俺ったらうっかり屋さん☆ あはは』と笑えるレベルをとうに超えている。
俺の馬鹿ーっ。どうしてこう、肝心な時に限って詰めが甘いんだよーっ。
断ることにばかり気を取られた結果がこれだ。同じ手に何度も引っ掛かるなんて、自分はなんて間抜けなのだろう。
もう、ほんと、なんで俺ってばこういうときにだめだめなんだろう。
慎重派のくせになぜか時折突き抜けた行動をしてしまう自分が心底憎い。いっそ呪ってしまいたい。
いや、自分で自分を呪っても自分に返ってくるだけか……。
「はあああああああ……」
収拾のつかない思考に特大のため息をついていると、さらにメールが届いた。
このタイミングで送ってくる手際の良さが心底恨めしい。
『脅してごめんね。でも年末くらいは俺に付き合って。詳しい予定についてはまた連絡するから』
「………………」
一応川田にも脅している自覚はあったらしい。しかも脅せば光琉が断れないことも見越している。
川田の方が一枚も二枚も上手だ。なぜ光琉はそんな相手を敵に回してしまったのだろうか。
勝てそうにない戦いに挑まざるを得ない現実に光琉は肩を落とした。
直面している問題が戦いではなく、ましてや川田と光琉が敵味方という関係ではないことにも気付かずに、光琉は意気消沈としたまま了解の旨のメールを送ることとなった。