もう一度会えたら、その後に 第4話
しばらくの間携帯電話の画面と睨み合った光琉はもう一度ため息をついて、素早く指を動かし始めた。
一緒に食事をする気など毛頭ないが、光琉の中には返事をしないという選択肢はなかった。小心者なのだ。川田からのメールを無視することはできなかった。
無視したところで川田が堪えるとも思えなかったということもあるが、なんとなく川田に付け入る口実を与えてしまうような気がしたからだ。
『仕事お疲れ様。ごめん。身体がまだまだ本調子じゃないから当分は無理だと思う』
誘いを断ったことを謝りつつ、しばらくは一緒に食事に行くのは無理だとさりげなく主張する。頭の出来はそう悪くないはずなのに断り下手な光琉にしては、なかなかうまい文面にできた。
体調が悪いと言えば無理強いはされないだろう。実際問題、川田のせいで体調は悪い。身体のあちこちが痛いだけではなく、なんとなく腹の調子も悪いのだ。
……認めるのもなんだが、あんなことをされればそれも当然だろう。
送信完了のメッセージを確認して二つ折の携帯電話を閉じる。
「さて、と」
小さく呟いた光琉は携帯電話を鞄に戻して机周りを片付けた。最後にPCと会社の携帯電話の電源を落とし、出退勤ボードのネームプレートをひっくり返して退勤にする。
それから自席に戻ってコートを羽織った。夜の七時はまだ早い方だが十二月の頭にもなると朝晩は冷え込むようになる。暑がりのくせに身体が冷えやすい光琉はこの時期には薄手のコートが手放せない。
月曜日ということもあって残業をしている人もさほど多くはない。課長の添島も例外ではなく、帰り支度をしている彼に挨拶をしてから光琉は荷物を持って席を離れた。
「ああ、そうだ、村野」
「はい?」
ふと背後から添島に呼び止められ、何だろうと思いつつ振り返った。
「腰には気を付けろよ」
不意打ちの言葉に咄嗟になんと返せばいいのかわからなかった。
それ以前に一体いつの間にその話が出口から添島に伝わったのだろうか。少なくとも光琉の視界に入る場所ではそんな話はしていなかったはずなのだが。
だから嫌なんだこの二人の情報ネットワーク。
「…………はい、気を、付けます」
結局、光琉は顔を引きつらせないように気を付けてそう答えることしかできなかった。
咄嗟の出来事に弱く、こんな風に返すのが精一杯の、応用のきかないコミュニケーション能力の低さにがっかりする。本当にこういうところで要領が悪い。なんでもそつなくこなす――とはちょっと違うが――兄とは大違いだ。
「じゃあ失礼します」
「ああ、気を付けてな」
添島に会釈を返して光琉は一足先にフロアを出た。
添島から見えないところまで来て肩を落とす。なぜこんな目に遭うのだろう。
そもそも腰が痛いのも尻が痛いのも光琉のせいではない。川田のせいだ。本当なら川田に責任をきっちりとってもらいたいところなのだが、張り切って別の意味で責任をとってくれそうで、そんなこと口が裂けても本人には言えそうにない。
そんなことになったらまた自分が酷い目に遭うのだろう。
「はあ……」
考えるだけでため息が出る。
結局のところ、痛みが癒えるまでは一人で耐えなければならないのだ。誰に相談することもできない。
本当なら愚痴の一つや二つ、いや三つや四つどころかそれ以上に吐き出して喚いてやりたいところだが、自分から男に犯されましたなどと告白できる相手などもちろんいない。いなくて当然だ。
……なんか理不尽だ。
納得の行かない気持ちを抱えながら会社の裏口を出たところでコートのポケットに振動を感じた。携帯電話を取り出すと川田からメールが届いていた。
『身体大丈夫? 無理しないように。飯はまた今度連絡する』
文面からは光琉を心配していることがわかる。が、ごめんの一言はない。
一体誰のせいでこうなったと思ってるんだか……。
しかも食事の誘いについては諦める気配がない。
川田のマイペースさに呆れつつひどい疲れを覚えて、光琉はその日何度目になるかわからない盛大なため息をこぼした。