もう一度会えたら、その後に 第3話
「ねえ、村野。お願いだから俺と付き合って?」
川田の方は自分の発言が恥ずかしくもなんともないのか、甘えるような口調で言って手を繋いできた。
五本の指を正面から絡めてきゅっと握り、延びた指先で光琉の手の甲を軽く引っ掻く。くすぐったさに指に力が入って強く川田の手の甲を押してしまえば、するりと指を撫でながら川田が繋がりを解く。かと思えば再び指先から撫で上げてくる。
「……んっ」
指の股を指先でくすぐられ、指の側面をじっくりと撫でられる行為がとてもいやらしかった。もっとすごいことをすでにしてしまったはずなのに、こちらの方がよほどいやらしく感じる。
「ね、お願い。じゃないと俺、村野のこと帰せないかもしれない」
甘い声でそう言って、逃がさないと言うように再び指を絡ませてぎゅっと力をこめてくる。
それは脅しって言うんだーっ。
あまりに物騒な発言に光琉は内心で叫んだ。身の危険を感じて汗がぶわっと吹き出す。
川田が本気かどうかはわからないが、ここでうんと言わなければこの後が恐ろしいような気さえする。だからと言って相手のことを好きかどうかもわからない――というよりも考えられないと言った方が正しいかもしれない――状態で、とりあえず川田の言葉に頷くというのは違うと思う。
でもでもでもこのまままた川田にされるのは恐ろしすぎるっ。でもじゃあどうすりゃいいんだ俺は!
混乱のあまり空回りする思考にどうしようもなく固まっている光琉をどう思ったのか、川田が追い打ちをかけるように爆弾を落とした。
「それか、村野の家まで追いかけちゃうかも」
ぎぎぎと音がしそうなくらいぎこちない動きで川田を見やると、その顔にはほんのりとした笑みが浮かんでいる。
ひーっ。
思わず身を引きそうになったのを繋がれた手で引き止められる。川田の行動が天然なのか故意なのかわからないのが怖い。
「わかったっ、わかったから! 川田の気持ちはよくわかった。だけど、付き合うってのはちょっと、その、無理っていうか、待ってほしいっていうか」
「ん?」
笑顔のまま首を捻られる。心なしか繋いでいる手に込められている力が強くなったような気がする。
ほんと勘弁してほしい!
それでも光琉は自分を落ち着かせるように大きく息を吸った。
……そんなことをしたところでばくばくと鳴る小心者の心臓を落ち着かせることはできなかったが。それでも今は下手に取り繕う方が事態を悪化させるだろうと、光琉は今の自分の心境をそのまま伝えることにした。
「いや、だから、その、さ……。俺、今、すごく混乱してる」
なんとなく繋がれた手を見ながら、俯いて言葉を選ぶ。
「川田がそんなに、その、なんていうか、俺のこと想ってくれてたっていうのに、正直びっくりしてる。それに、いきなりこんなことになったのも、すごく……ショックだ。男と、するなんて、考えたこともなかったし……。なんかすぐには頭が追いつかないっていうか」
川田は俺の言葉に耳を傾けているのか、口を挟まなかった。
「俺は、川田のこと、そういう風に意識したことなかったから、そういう意味で好きになれるか、よくわからない。俺、男だし。だけど、そんなんで、付き合うって形だけ返事するのは、違う、と思うんだ。だから」
緊張のあまり口が渇いている。こんなに不安な思いをしながら自分の気持ちを言葉にするのは人生で初めてかもしれない。ついつい話しながら空いている方の手でシーツを強く握ったり緩めたりを繰り返してしまった。
それでもこれだけはと、光琉は意を決して川田を見据える。
「だ、から、その、ちゃんと考える時間がほしい」
今すぐに結論を出すことは無理だから、きちんと考える時間が欲しかった。そうでなければ、やり方はとんでもなくても気持ちを示してくれた川田に誠実でいられないような気がした。
「んー、それって、まずはお友達から始めましょうってこと?」
光琉の言葉を聞いた川田が考えるように首を捻った。
なんだか少しニュアンスが違う気がしたが、このときの光琉はまだ混乱を引きずっていた。つい同じように首を傾げながら頷いてしまった。
「え? あ、まあ、そう言われれば、そうなの、かな……?」
「じゃあ、遊びとか飯に誘ってもいい?」
「え、まあ、うん……。ダメとは言わないけど。でも俺、出無精だよ……」
川田はしばらく考えるような仕草を見せていたけれど、意外とあっさりと首を縦に振った。
「わかった。それなら、村野の携帯の番号とメルアド、教えて」
「え?」
「だって連絡取れなきゃ意味ないでしょ」
「あ、う、そうか……?」
なんだか光琉が考えていたような展開からそれていくような気がしたが、もうこれ以上は何も考えられなかった。
結局流されるように、川田に鞄を持ってきてもらって互いの連絡先を交換することになった。
「じゃあ折角だし、これから昼飯でも一緒に食べようか」
自分のスマートフォンをいじりながら問いかけてくる川田に、一瞬呆けてしまった光琉は慌てて首を振った。
まさかここでそんな一言が飛び出すとは思っていなかった。
「いやっ、今日はもう帰るよ」
「もう? まだ昼前だけど」
「あの、……正直疲れたし」
誰のせいで疲れたのかは言うまでもないだろう。
「ならうちで休んでく?」
「いやいやいや、明日出勤だし、家でゆっくりしたいと思って。それに身体、あちこち痛いし。何よりもう尻が痛いのなんのって! とてもじゃないけど誰かと一緒にいられる状態じゃないから」
光琉は甚だ情けない理由を並べ立てて、なんとか川田を黙らせた。体調が良くないことを理由にすれば、さすがの川田引き下がるしかなかったようだ。少し不満そうな顔を見せたものの、強引に引き止めるようなことはなかった。
光琉はそのことに心底安堵した。とにかく今は早く一人になりたかったし、できれば川田の側には居たくなかった。なにせ自分を無理矢理犯した相手なのだ。
一応、自分の気持ちをちゃんと考えるとは言ったものの、できればしばらく川田の顔は見たくないというのが正直な気持ちだ。
その後も着替えだなんだと光琉の面倒を見たがる川田をなんとか退けて、タクシーを呼ばせた。心配だからと同乗しようとする川田を振り切って自宅に帰ることができたのは、後から思えば奇跡のようだった。
やっと川田と別れたタクシーの中で妙な寒気を覚えた光琉は、その後で嫌な予感が的中して熱を出した。風邪などではなく、おそらく無理に川田に抱かれたことが原因だろう。
そうあたりを付けた光琉は帰宅するなり昼食もとらずにベッドに潜り込んだのだった。
そのまま身体の要求に従って半日死んだように眠った。読み通り発熱も一時的なもので、今朝起きたときには平熱に下がっていた。
それからさらに昼まで布団の中で過ごして、ようやく日常生活に戻れたのだ。それでもまだ身体の節々――特に腰の周辺には自己主張の激しい痛みと違和感が残っていたが。
起きてみて改めて思い返してみると、昨日のことはまるで夢のようだった。酒に酔った幻ではないかと疑ってみたものの、身体に残る数々の証拠がこれは現実だと、残酷な事実を突き付けてくる。
――同窓会で十年ぶりに再開したクラスメートと酔ってベッドイン。
ドラマの筋書きならありがちな展開だがこれが男同士で、しかも自分が無理矢理抱かれただなんて、どう考えてもよくある話ではない。絶対違う。
「はあああああ」
俺にこれからどうしろっていうんだよ……。
光琉の口から特大のため息がこぼれた。
異性相手でも恋愛感情をよく理解できていないのに、同性相手なんて光琉にはハードルが高い。はっきり言って高すぎる。
とりあえずはいきなり付き合うことを避けられただけでもいいとしたいところだが、川田相手にそれで安心していいのだろうか。昨日の流れを考えると不安でしかない。
別に川田のことが嫌いなわけではない。むしろ昨日までは昔のままの好感を持っていた。ただそれはクラスメートの中でも好きな方だったという程度の気持ちで、川田が光琉に向けてくるような特別な感情ではなかった。
この際男同士ということは置いておくにしても、そんな状態で川田と付き合う訳にはいかない、というのが正直なところだ。
大学生のときに告白されて初めて付き合った彼女とは、自分の気持ちが曖昧なまま関係を始めて、そのまま自然消滅のように終わってしまった。最後まで彼女のことを好きだったのかどうかもよくわからないまま。光琉を好きだと言ってくれた彼女に、同じ言葉を返せないまま。
異性とセックスへの興味が先に立った関係は光琉の中では不完全燃焼で終わった。
彼女が付き合っている間の光琉のことをどう思っていたのかは知りようもないが、多分、いろいろな面で楽しませてあげることはあまりできなかったと思う。光琉自身、付き合っているときに楽しいと思っていたかはあやしい。
自然消滅のように彼女と会わなくなってから、そんな中途半端な気持ちでは駄目なのだと気付いた。彼女に悪いことをしたのだと気付いたのは、大分時間が経ってからだった。
だから、相手のことをきちんと好きだと思えるようになってからでなければ、誰とも付き合わないと決めた。中途半端は自分にも相手にもよくないと思ったから。
それをそのまま伝えたはずなのに、なんとなく川田にはストレートに伝わっていないような気がしてならない。というよりも聞いた上で軽やかに無視された、と言った方がいいのだろうか。
……なんだか先行きが不安だ。
とにかく断ること前提でどうにか話を進めるしかないだろう。
ひとまず友人という立場なら寝るとかそういう話は回避できる。少なくとも光琉の感覚では友人同士は寝たりしないから、そこを盾に取るしかない。
正直なところ、川田にのしかかられて突き上げられるのは苦痛でしかなかった。もちろんそれ以外の部分で快感を得たことは否めないのだが、それでもあの行為をもう一度するのは嫌だった。
もしかして自分も彼女にそんな思いをさせていたのかもしれない。
今になって自分がいかに駄目な男だったかがわかる。同時に自分がされる側になったという事実にため息しか出ない。
思い出すだに川田の無邪気に見える強引さが恨めしかった。