清想空

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open05.04.12
もう一度会えたら、その後に 第2話
 
鞄の中に入れっぱなしにしていた携帯電話への着信に光琉が気付いたのは、仕事を切り上げて帰る支度を始めたときだった。
「え……」
 てっきりメールマガジンか何かだろうと思っていたのだが、開いた受信トレイ画面に表示されていたのは『川田<かわた>』の名前。
 予想外だ。
 まさか川田からメールが来るとは思ってもいなかった。
 ……見たくないような、でも見ないといけないような。
 少しだけ迷ってから、なんとも表現しがたい気分で『仕事お疲れ』という件名のメールを開いた光琉は、すぐに眉をひそめた。
 『村野の夕食がまだなら仕事上がりに一緒にどう?』
 なんだこれ。
 思わず鼻の頭に皺を寄せてしまった。
 川田がどちらかといえば明るく無邪気なタイプだということは前々から知っていたが、これはどうなのだろう。川田は光琉がこんな誘いに乗ると思っているのだろうか。
 一体どこの世界に、自分を無理矢理犯した相手と食事をともにしたいと思う人間がいるというのか。
 普通に考えているわけないだろうよ。
 昨日の今日で、何のわだかまりもないようなふりでこんなメールを送ってくる川田が信じられなかった。
 いや、本当はなんとなくわかっていながら、光琉は気付かないふりをしたかっただけかもしれない。思えば昨日の事の顛末からして雲行きは怪しかったのだ。
 いろいろと考えるのを後回しにしたつけが回ってきたのだと思えば、光琉の口からは大きなため息がもれた。
 
 
 
 ――昨日の昼過ぎ。
 さらりと頭に触れられた感触に導かれるように、沈んでいた光琉の意識は浮上した。
「ん……」
 ぼんやりと目を開くと視界の中で小さな水滴が弾けるのが見えた。睫毛が濡れているような感じがする。
 ……なんだっけ?
 半分寝ぼけた頭のまま目を閉じて、光琉はもう一度ゆっくりと目を開いた。
「おはよう、村野」
 突然至近距離から掛けられた甘い響きの声に光琉は動きを止めた。同時に目の前に見えていた肌色が光琉の方へと寄ってきて、すぐにうつぶせになっている光琉の首の付け根に柔らかいものが触れた。
「ひっ」
 ちゅっという音を立ててすぐに離れていく、その覚えのある感触に光琉の身体がびくりと震えた。
 川田に首筋に口付けられた。
 そう認識した瞬間、完全に意識が覚醒した。
「!」
 咄嗟に跳ね起きようとして、けれど光琉は目的を果たすことはできなかった。
「うっ」
 ケツが、いてえ……っ。
 情けないことを心中で叫びながら再び布団へと沈む。とにかく腰やら脚やら尻やらが痛い。よくわからないけど痛い。
 腹を下したときのような尻の痛みと、その奥に残る鈍痛。無理な体勢をとらされていたせいなのか、腰と股関節が痛い。変な力が入っていたのか、ふくらはぎの辺りにも妙な張りと痛みがある。
 それだけでなく身体全体が重だるく、まだまだ休ませてくれと激しく主張している。
 ……そうだ、川田に襲われたんだった。
 光琉は身体に残る痛みを契機に今朝方からの一連の出来事を思い出し、それに再び衝撃を受けた。
 男に襲われたのだと改めて言葉にしてみるとダメージが倍増したような気がして、光琉はシーツを掴んで呻いた。
「ぐううっ」
「村野、大丈夫? 腰痛い?」
 心配そうな口調の川田が顔を覗き込んできた。
 ……なんとなくその顔が笑んでいるような気がする。
「大丈夫じゃ、ない」
 じとりと見上げて苦々しく答えると、川田の手が毛布をくぐってそっと光琉の腰を撫でてきた。その感触にぞわりと鳥肌が立った。
 うっ……。
 本人は善意からくる――そう捕らえていいものかはとても疑問だが――慰撫のつもりなのだろうが、正直に言ってやめてほしかった。
 体温の高い手に触れられたところから肌が粟立って、つい一時間ほど前に植え付けられたあやしい感覚が呼び起こされる。項のあたりにぞくぞくとした感覚が溜まり始め、それを振り払おうと、光琉はだるさを訴える腕を後ろに回した。
「も、いいから、触るな。……って」
 しつこく腰を撫でる手をどけようとした腕を逆に川田に捕われた。そのまま両手で手を握られてしまう。
 光琉の体温の低い手に川田の温もりがじんわりと伝わってくる。
「なに……?」
 身体を横向きにして川田を見上げると、意外にも川田の真剣な瞳と出会った。
「村野、俺、卒業してからも村野のこと忘れられなかった。だからさ、俺と付き合って」
 川田が光琉の手を包み込んでくる。
 口にされた言葉をよく理解できず、一瞬、素っ裸で胡座をかいている川田は恥ずかしくないのだろうかと思考が逃避した。それから一拍して、言葉の意味を認識するなり光琉の心臓が大きく跳ねた。
「……えっ?」
「だから、俺、村野のこと好きなの。好きだから村野とお付き合いしたいの。ね、村野、俺と付き合って」
「……っ」
 川田はためらいもなくすっぱりと言い切った。ど直球の言葉は、たとえ光琉がどれだけ鈍かったとしてもその意味を間違えようがない。
 息を飲んだ光琉の心臓が急速に鼓動を速め、息苦しくなるくらいにうるさく鳴り始める。顔が熱い。
 う、うるさい、心臓……。
 こんな真正面からの正直な告白は二十七年の人生の中でも初めてで、強烈に恥ずかしかった。そもそも誰かとベッドをともにしたことだけでも光琉にとっては十分刺激的で、たとえ相手が男だとしてもこんなことを言われては茹であがってしまいそうだ。
「村野真っ赤」
 指摘されて、とても川田の顔を見ていられなくて光琉は俯いた。捕らえられたままの手が恥ずかしさのあまり震えてしまう。
「ああ、もう、かわいい」
「ひゃ……っ」
 身体をぐっと寄せてきた川田に耳の下を軽く吸われた。びくりと震えた光琉に構わず、手を捕らえたまま何度も首にキスしてくる。その度にぞくりとした感覚が走り、今度は恥ずかしさからではなく快感で身体が震えた。
 一度快楽を得てしまったからなのか、朝のホテルでのときよりも身体が鋭敏に反応してしまう。抵抗できないまま殺せない息が鼻からもれた。
 顎下のキスで顔を上げさせられて潤んだ目で川田を見返す。
「かわいい」
「ふ、んっ」
 泣きそうな光琉とは対照的に川田は笑顔だ。かわいいと繰り返しながら今度は唇を重ね合わせてくる。
 も、そんな、何度も、かわいいとか、言うな……。
 啄むようなキスの合間に伝えられる言葉が恥ずかしすぎる。自分には不似合いだとわかっているからこそ余計に恥ずかしかった。
「!」
 恥ずかしいと思いつつ、うっかりキスに流されそうになった光琉は本格的にのしかかってこようとする川田の動きに我に返った。
 まずい、まずい、まずい。どう考えてもまずいっ。何流されようとしてんの、俺!
「ちょっ、と、待て……っ」
 光琉は捕らえられていない方の手が自由だったという事実をようやく思い出し、震える腕で川田の身体を押した。
「ちょっと待って」
 川田は押し返されて不服そうな顔をしたものの、身体を元の位置まで戻した。それでも光琉の手を放すつもりはないのか手首を柔らかく掴まれる。
「え、と」
 とりあえず気持ちを落ち着けようと深呼吸してみる。けれど鼓動は相変わらず速いままで、顔の熱も引きそうになかった。
「まずは、その、川田の気持ちは、わかった……。う、わかったけど! ストップ、ストップ、ストップ!」
 光琉が言うなり身を乗り出してきた川田を強い口調で制した。普段はあまり相手に強く出ることはない光琉だが、今は別だ。
 ここでいろいろとはっきりさせておかないと、どう考えてもまずい。絶対にまずい。身の危険しか感じない!
「……そもそもだな、川田。順番が違うだろ」
 光琉が川田の気持ちを知る前に、光琉の気持ちが確認されることなく、強引に身体を奪われた。どう考えてもおかしいだろう。
「なんで俺の返事聞く前にこんなことになってんだよ? 言っておくけど、俺は腹を立ててるぞ」
 ホテルでのいきなりの出来事に面食らってもいたし、何より男に襲われたなどとんでもなく衝撃的な出来事だ。なぜこんな状況になったのか。当然光琉としては納得していない。全然納得していない。
 というか男が男にいきなり襲われて、あっさりと納得できるやつなどいないだろう、普通。
 そんな気持ちを込めて川田を見上げた光琉は、けれどそこであることに気が付いて動きを止めた。
 あれ? でも、一方は好意を持ってる状況で、酔い潰れてホテルで一夜って、ひょっとして弁解の余地なし……?
 もしこれが男女で、ホテルの一夜で間違いが起きたのだったら双方の責任として割り切っていただろう。今はともに男だから話がおかしく思えるだけで、構造自体はまったく同じなのではないか。
 ――気付かなくてもいいことに気付いてしまった。
 もしかしなくとも無防備にもほどがある態度をとった光琉にも当然非があるということになるわけで。しかも昨晩の酔っ払った光琉は完全に川田に甘えていた、ような気がする。
 いやいやいや、待て。流されるな、俺。酔っ払って流されたんなら俺にも責任あるかもしれないけど、間違いが起きたのは朝になってからだから。しかもかなり強引にされたし。何より尻だってまだ痛い。
 かなり残念な突っ込みを自分に入れて、自ら掘り起こしてしまった疑念を振り払う。自分に都合の悪いことはこの際黙っておくのが吉だ。
 そんなことを思っているうちに川田がとんでもなことを言い出した。
「うん、ごめんね。村野がかわいすぎて我慢できなかったんだ」
「は……?」
「昨日の夜から、酔ってふにゃふにゃになってるのがかわいくてむらむらしてたんだけど、今朝の泣きそうな村野があんまりにもかわいくてつい襲いたくなっちゃった。寝顔見てるだけでも興奮してやばかったから、これでも風呂入ってるときに気付かれないように抜いたんだけど、勃ってる村野見たらもう血が」
「わーっ、もういいもういいもういいっ。頼むからそれ以上言うな!」
 立て板に水という勢いで紡がれる言葉に、穴があったら入るどころか飛び込んでそのまま埋まってしまいたかった。
 一体なんていうことを言うのだ。恥ずかしすぎる。
 自分を見ていかに欲情していたかを語られるなんてどういう羞恥プレイだ。しかも相手は男で光琉も男という状況で。
 とてもではないがこれ以上は聞いていられなかった。