清想空

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open05.04.12
その瞳に映る人 プロローグ
暗がりの中から消えていく滝崎秀一<たきざきしゅういち>と二科紗<にしなすず>の二人分の背中を見送った村野竜琉<むらのたつる>は小さく吐息をこぼした。
なんでこんなことになったんだか。
心のうちでぼやいていると背後から呼びかけられる。
「おい、今の誰だ」
振り返るとそこには大学時代からの友人――むしろ悪友といった方が正しいかもしれない――である落真晴<おちまさはる>がいた。
友人と目が合うなり村野は思い切り眉をひそめた。
――お前もか。
投げかけられた問いにうんざりとした気分になる。
先ほどから何度同じ質問をされただろうか。落だけでなく、このカジュアルバーに集まった友人知人の多くから一体今のは誰だったのだと、村野はわずかな時間だけですでに質問攻めにされていた。
――ったく、これだからニカさんは……。
がりがりと頭をかきながら村野の口からはため息がこぼれ落ちる。
村野の中学高校時代の先輩である二科は良くも悪くも、他人への影響力が大きすぎる。本人の言動がというよりも、美しすぎるその存在自体が魔性、あるいは蠱惑の者だと言ってもいい。
身も蓋もない言い方をすれば、さながら誘蛾灯のようなものだ。本人が意識しようがしまいが、周りが勝手に惹きつけられて惑わされる。本当の魔物ではないのでさすがに相手の命を吸ったりはしないが。
三十六歳になっても衰えることのない美しい容姿は、村野が知り合った頃に比べるとだいぶ色っぽくなった。聞いた話では昔から少女のように可愛らしかったそうで、容姿の美しさは生まれ持ったものなのだろう。
高校生になる頃には背も伸びて、さすがに女の子に間違えられるようなことはなくなったようだが、それでも五つ年上の彼と初めて会ったとき、村野は目の前にいるのが男かどうか咄嗟には判断できなかった。もちろん二科は男子の制服を着ていたのだが、その顔は人形のように硬質で、性別があるのかそのときは疑問に思えたのだ。
実際に言葉を交わしてみると二科は当然ながら普通の人間で、少し安心したのを覚えている。あまりに静的な容貌というのは人間味を失わせるものらしい。
あの頃の二科は近寄りがたい硬質な雰囲気の持ち主だった。周囲や、ともすれば自分自身の心や気持ちにもあまり興味がないのではないかと、村野はなんとなく感じていた。
自分の欲望も希望も薄いまま、ただ日々を過ごしているような、そんな印象だ。それが彼を人間っぽくないように見せていたのだろう。もっともそれはあくまで村野の受けた印象であり、それが正しかったのかを確かめたことはない。
ただ、村野から見た二科は、とてもいびつで脆い部分を持っている人間だ。彼が抱える彼の兄への想いも、屈折した欲望の発散方法もその一部分、もしくは歪みの結果だと思っている。
二科がそうなってしまった経緯のほとんどを村野は知っているが、それだけでは二科を救うことはできない。二科を負の連鎖から解放することはできない。村野にできることはただ見守って、心配して、たまに助言して、やきもきすることだけだ。それが時折もどかしくて辛いこともあるけれど、二科を見捨てるという選択肢だけは存在しない。
どんなことがあっても、二科のたどる道とその結末だけは見届けるつもりでいる。それが村野なりの覚悟だった。
だから、二科からこぼれ落ちる淀んだ色気に友人があてられたのかと思えば、ため息もつきたくなるというものだ。
「なんだよ、落。お前もさっきのニカさんのエロい顔に煽られたくちか?」
滝崎とのキスの後に見せた、うっとりとしたような二科の表情と吐息は間違いなく周囲の男たちの欲情を誘った。衆人環視の中のキスで、あんなすさまじい色気を乗せた顔をさらしたのは色々とまずかった。
おかげで二科と面識のない知り合いから、あれは誰だ、紹介してほしいなどと口々に言われる羽目になったのだ。
――もっとも、そいつらの希望はすべてぶった切ってやったのだが。
うんざりとした顔を隠さずに尋ねた村野の問いに、けれど落は予想外にも歯切れ悪く返した。
「いや……」
落の顔は言葉を濁したというよりは、自分の心境に最も当てはまる言葉を探しているように見えた。
一体どんな答えが返ってくるのか、少しだけ興味がわいた。けれどそれはすぐに苦い気持ちに変わった。
「……そういうわけじゃないんだが、興味が湧いた」
「なお悪い」
返答に村野は思い切り顔をしかめた。落にはいささか嗜虐的なところがある。そんな相手に二科を紹介する気には到底なれない。
「俺はニカさんとお前を会わせたくない」
紹介をする気はないと躊躇なく言い切ったが、残念ながら落が村野の返答を気にするような、そんな殊勝な男ではないということも知っている。
「と、思ってるんだがなあ」
「そんなもんは関係ないな。お前が会わせたくなかろうがなんだろうが、知ったこっちゃない。いいから教えろ。あれは誰だ」
「だよな。……お前ってのはそういう奴だよな」
「言っておくが隠すと身のためにならないぞ」
落の傲慢とも言える態度に村野は盛大なため息をついた。こういう物言いをしたときの落は絶対に引かない。
――まったく厄介なことになったもんだ。
「お前とニカさんはあわないと思うんだけどなあ……」
「それこそお前に判断されることじゃない」
村野のぼやきを落が切って捨てた。
人の尺度に委ねるのではなく、自分の目で確かめてから判断しようとするその態度は、裏を返せば意志の強さとも我の強さとも言える。引く気はないのだという意思表示でもあった。
こうなってしまっては村野に選択権はない。体格も腕力も勝る落に実力行使に出られたら村野に勝ち目はない。
村野は仕方なく、二科が中学高校時代の先輩であることを告げた。
「お前が何を考えてるか知らないけど、今以上に泣かせるなよ」
きつく睨みを効かせた一言に落は軽く笑った。
「確約できないな」
「……頼むから壊すなよ」
これだけはと思って言葉にしたそれにも、落は眉を動かしただけだった。
「本当にどこまでも小憎らしい嫌な男だな」
村野は十年にもなる付き合いの友人に、そう遠慮なく言ってやった。当の落はそれを面白そうな目で見返しただけだった。