清想空

若里清によるオリジナル小説サイト

©2020 Sei Wakasato All Rights Reserved.
無断転載等のことはしないでください。

open05.04.12
後日談 1

1.十二月のある日

落とは二科の部屋で会うことが多い。
たいていはティータイムのような午後のひとときをたわいない話をしながらくつろいで過ごす。夜までともにして身体を交えることもあれば、ただ話をして別れるときもある。
ほんの数ヵ月前までは考えられなかったような、落と過ごす穏やかな時間は意外なほど心地良かった。
そういう時間の締めくくりには落の休日が週末にかぶる日程を確認して、なんとなく次回の予定を頭に思い浮かべる。飲食店の宿命で土日の休みは交代制で月に一回か、運が良ければ二回あるかどうかで、二科と落の休みがかぶることは多くない。
そうした月に一、二回巡ってくる機会を利用して落と会うようになって、すでに三ヵ月が経っていた。
連絡をするのは落からのこともあれば二科からの場合もある。そのあまりに自然なやりとりは意識しているやっているわけではなく、二科としてはなんとなくという感覚だった。成り行きとでも言えばいいいのだろうか。ごく自然の流れだった。
だから身体の関係はともかくとして、二科自身は落とどうこうなっているなどという意識はまったく持っていなかった――。
 
 
 
十二月も半ばに差しかかった週末のことだった。
自分で淹れた紅茶を飲みながら、ふと二科は以前に抱えていた疑問を思い出した。
「そういえば、疑問だったんだけど」
「なんだよ」
テーブルの向かいで同じようにティーカップを傾けていた落が視線を向けてくる。
「前に、僕のところに来るのが一ヵ月単位だったのはなんでだ」
落が初めて二科の前に姿を現した頃。落は二科が無理矢理に抱かれたショックから立ち直る頃を狙ったかのように再び現れるということを繰り返していた。だが、良く考えればおかしいのだ。
人を追い詰めるのなら、それこそ毎週でも二週間毎でも周期が短い方が相手にプレッシャーをかけやすい。その方が効果的なはずなのになぜそうしなかったのだろう。
二科よりも悪事に関しては頭の回転が早そうな落がそれに気付かなかったとも思えず、疑問に思っていた。追い詰められる側の立場だった二科がそう考えていたのは実に皮肉な話なのだが。
「ああ、それは店の休みが交代制だからな。あんたを捕まえやすい金曜か土曜に身体がなかなかあかなかっただけだ」
「……そうか」
言われてみればもっともな理由だった。金曜日は店も混むし、土曜日以上に休みは取りにくいのだろう。交代制ならなおさらだ。
落の行動に特に深い意味もなかったことに安堵したような、拍子抜けしたような不可思議な気持ちになる。
「飲食店も色々大変だな」
「まあ働くってのは、どういった職業でもそうそう楽なことじゃないだろうよ」
落が特に気負った様子もなく答える。たしかにその通りだろう。どんな職についても大なり小なり問題はあるに違いない。
それでもこういうことをさらりと言えるあたりが、この四つ年下の男の良さなのだろう。ある意味で胆力があるというか、器が大きいとでもいうのか。
「そうだな。ところでお前、かなりいい大学出てるのになんでバーに就職したんだ? あ、別に馬鹿にしているわけじゃなくて、純粋な質問なんだけど。酒とか趣味なのか」
落の出身大学のレベルなら、本人の適性に余程の問題がなければどんな職業でも選べただろう。特に落のように物事にそうそう動じない――というよりはふてぶてしいと言った方が正しいのだろうか――性格なら、好き嫌いが分かれそうな気はするがそれでも引く手あまたなのではないだろうか。
そんな二科の質問に、落はなんだ今更という顔をして見せた。
思えばこれまでこんなプライベートな話はしたことがなかった。数ヵ月前まではしようと思ったこともなかったし、実際に二人はそんな話をするような間柄ではなかった。
二科は落についてはほとんど何も知らない。
知ろうと思った時点で村野あたりに聞けばよかったのだろうが、そんなに興味を持っているのかと落に思われるのが癪で、今のところは何も聞いていない。
落に、あの野性的な雰囲気の濃い顔で『ふうん、あんた俺に興味あんの』などと言われようものなら、はらわたが煮え繰り返るような気持ちになるだろう。いや、想像するだけでも十分に腹が立つ。
それに村野に聞いたところで、そちらにからかわれるのが癪だというのもあった。
まったくなんであいつの周りには一癖も二癖もある人間ばかりが集まっているのだろうか。
「酒は嫌いじゃないけどな、趣味でもない。大学んときにあそこの厨房でバイトしてたんだ」
「へえ。じゃあそのまま就職したのか」
「そう。サラリーマンて柄でもないしな」
「それは否定しないけど」
「まあな。普通に就職するのもなんか違うなと思ってたところに、店長から運良く声かけてもらって就職した。けど、生意気だって厨房から追い出されてフロアの方にやられた」
「なるほど」
「……冗談だよ」
納得して頷き返すと落が呆れたようにため息をついた。
「バイトならともかく、社員で厨房に入るなら調理師の免許をとれって言われたんだ。チェーン展開している居酒屋ならそうでもないだろうけど、個人経営のところだからな。そこら辺はわりときっちりしてる」
「ああ、そうか」
「大学出てからちゃんと学校に通って調理師の免許を取ろうかとも思ったんだけど、下に二人いるから諦めた。うちもそう余裕のある家じゃなかったし、バイトで学費を稼ぎながらっていうのもかなりきつそうだったしな」
だから手っ取り早く、国立大学に入ってそのまま卒業、就職したのだという。
それから二人いる兄妹というのが二つ年下の弟と十歳も下の妹だということと、忙しい両親に代わって彼らの面倒を見ていたことを聞かされた。しかも猫可愛がりしている弟妹に料理を作ったときにおいしいおいしいと喜んでもらえることが嬉しくて、それで調理師を目指そうかと思っていたと言われれば意外さに目を瞠った。
落も普通の人間なのだなとしみじみ思ってしまったのは、これまでの経緯を考えれば仕方のないことだろう。
「で、結局、フロアとかカウンターとかに入るようになったわけだ」
「そうだったのか」
たしかに、落みたいなタイプは女性にもそれなりに気に入られそうだ。ちょっとワイルドなところがいい、などと言われていそうだし、ある意味適性がありそうだとも思う。
「……あと、もう一つ聞きたいんだけど」
「ん?」
「前に僕にはめさせた手錠とか、……あれはどこから調達してるんだ」
一度だけ使われたそれがあまりにも強烈なインパクトを残していて忘れられない。落にそんな趣味があるのかどうか、実はずっと気になっていたのだ。今までは機会がなかったのだが、今ならちょうどいいと思って切り出してみた。
「ああ。店でもらったんだ」
職場で、どういう文脈で、どういう場面で、夜の玩具を渡されるというのだ。
疑う目付きを隠さない二科に落が苦笑をもらした。
「夜の店だからな。色んな人が集まる。アダルトショップを展開してる会社の社長とか役員が来たりもするんだよ。それでそういう人が、使ってみたら、なんてことを言いながら袋に入ったままのものをくれるんだ」
「……ああ、なるほど」
たしかに夜の暗がりの中で、バーの店員の制服を身につけた落は何とも言えない色気を身にまとっていそうだ。嫌味半分で渡すというのもなんとなく納得できてしまう気がした。
納得した二科に、今度は落が何か含むものを感じさせる笑い方をした。
「手錠以外にも色々もらったけど、今度試してみるか?」
「っ……冗談じゃない」
ぎくりと身体を震わせた二科に、カーテンの隙間から入ってくる十二月の西日を浴びた落がもう一度笑った。
その瞳には柔らかな優しさが浮かんでいた。