清想空

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open05.04.12
となり 第3話
七月の半ば、ちょうど一学期が終わり、普通の高校生が夏休みに入る頃、未知子は高校を退学した。
ごく親しい者にだけその理由を語り、それ以外の人間には何も言わず、世話になった教師の外には挨拶もせずに密かに高校から姿を消した。
二ヶ月後の九月。未知子が十八歳になるのを待って、未知子と蓬田一彰は正式に入籍して、法律上の夫婦となった。
暢と川西が次に会ったのは、未知子の入籍の数日後だった。
 
 
 
今日はいつもとは違って、店のエントランスから一番遠いテーブル席に川西と暢は居座っていた。
些細な話や前回の暢の失態についての話、それから今日の本題を交えているうちに時間は過ぎていき、既に飲み初めてから三時間が経過していた。この間のことを踏まえて二人とも努めてゆっくりとしたペースで酒を進めたせいか、暢もあまりアルコールが回っていない。
川西は梅酒だかのロックを飲んでいて、グラスを傾けた拍子に溶けた氷がからりと音を立てる。
「これで本当に未知子ちゃんは結婚したってわけか」
「……そうだよっ」
一番奥とは言いつつ店自体もさほど広くはないので、自然二人の声は抑えがちになった。無論拗ねたような暢の声も、周りに影響を与えない程度の響きにしかならない。
「で、ずっと二人で寄り添ってきたから、来生は寂しくなっちゃったわけだ」
わざわざ傷つくような物言いをすることに腹は立つが、事実だからしようがない。暢は半ば投げやりに答えた。
「そうだよ!」
我ながら子供っぽいと思ったが、ぷいと顔を背けると、笑われた。
「確かに何か話したいことがあったら声かけろって言ったけどさ。来生って他に友達いないの?」
よくもまあずけずけと言ってくれるものだ。
確かに高校時代に、とても親しくしたと言えるような友人を作った覚えはない。だから高校を卒業した今になっても連絡を取り合っているような人間はいないというわけで。
もちろん職場には暢の生いたちを知っている人はいるけれど、それだってごく少数だし、同年代のいわゆる同僚には話していない。
つまるところ、暢の事情について知っている人間はとても少ないということだ。別に人当たりが悪いわけではない。ただ、暢自身も事情を知る人間は少なくていいと思っているのだ。
秘密を知る人間は少なければ少ない方がいい。その方が秘密が洩れることもないし、第一、人に聞かせても決して楽しい話ではない。
だから、こうして暢が愚痴を零せる相手は、どうしようもなく川西という元クラスメートにならざるを得ないのだ。
そういうところで川西の言うことは実に的を射ていて、正直に言えば嫌になる。
けれど、暢としては酒による自失に似た状態で白状してしまったことは実に不愉快で、不覚の事態だったが、それでも話せる存在が出来たという点では安心に似た気持ちを抱いている。
誰かに話すことで気持ちが楽になるということを暢はこの前まで知らなかった。
「悪かったな、友達がいなくて」
「いや、別に?」
背けていた顔を戻すと、川西は男前と言えるようなハンサムな顔をにやにやとさせている。人をいじる趣味さえなければ観賞用に最適じゃないか、とさえ思える。
逆に、この顔だから人を弄ることができるのかもしれない。
それじゃあまるで顔が免罪符だな。
思わず笑いそうになって、暢は慌てて口に手を当ててごまかした。
「でもさ、あんまり人にべらべら喋ることでもないし、知ってるのは一握りの人でいいんだよ」
「案外そんなもんかねえ。その割にはこの間はべらべら話してくれたよなあ」
「この間は本当に悪かったって。……もうそんなことはいいだろう」
「まあな。それで今日は、未知子ちゃんが本当の意味で離れていっちゃうのが寂しくて居ても立ってもいられなくなって、俺を呼び出したってわけか?」
「……当たらずとも遠からずっ」
結局言い負かされたようで何だか悔しかったけれど、前回散々情けないところを見せているから今更取り繕ったところで何もかもが手遅れなのだ。それでも素直に負けを認めるのは悔しい気がして、ひねくれた態度になってしまう。
「意外だよなあ。来生って結構子供っぽいな。俺、もっと大人みたいな奴かと思ってた」
「……俺も」
自分でも意外だった。けれど、よく考えれば当たり前のことかもしれない。
今まで、何の躊躇いもなく子供地味た態度をとることなどなかった。というよりも、育った環境上どうしても未知子や菊地、それから施設の他の子供たちの視線を気にしてしまい、自分だけが甘えてはいけないような気がしていた。
もしかしたら、これが初めてかもしれない。
不思議な気分に、川西をまじまじと見つめてしまったけれど、川西は気にしなかったらしい。「来生の意外な一面発見~」と、どこか嬉しそうにしている。
つくづくどういう人間なのか考えさせられる。一緒にいると調子が狂う。
「でもさ。言っただろ。俺は人をいじるのを生き甲斐にしてるって」
生き甲斐だという話は聞いた覚えがないが、おそらく川西の中では趣味と生き甲斐は同じ枠なのだろう。
「それでも俺を頼るってのは、いじられたいのか」
相変わらずのにやけ顔は、人をいじっている喜びと、暢にいじられたい願望があるのではないかという悪趣味な憶測を物語っている。
本当にどういう人間なんだ。
川西についてはわからないことが多すぎて――川西から見れば暢がそうなのかもしれないが――、どう対処すればいいのかわからないことが多い。
「別に率先していじられたいわけじゃないけど」
「言っておくけど、俺には来生を慰めようなんて気はないぜ。って、もう知ってるかもしれないけど」
「えっ」
暢にとっては衝撃的な告白だった。確かに刺のある言葉を多く投げ掛けられたけれど、それが彼なりの遠回しの慰めだと思っていた。けれど、それは違っていたのか。単に、本当に人をいじって楽しんでいただけだったのか。
「なんだ。わかってなかったの」
平然とした顔で言ってくる川西が俄かに憎らしくなってくる。
そんな暢の表情の変化を楽しんでいるのか、川西は普通であれば格好いいと思わせるような笑顔を向けてきた。
「まあ、俺だって人間だから、場合によっては慰めてあげるけどね。けど、来生の途方に暮れた顔ってあんまり見たことないから、慰める気にならない」
つまりは暢の困った顔を見て楽しんでいる、ということで。
それこそ暢は困ってしまう。
「俺、少しサディスト入ってるから」
あっさりと言われてしまえば、なお困惑は深まる。
誰かに自分の寂しさを埋めてほしい。話を聞いてほしい。隣にいてほしい。傍にいて、その体温を感じさせてほしい。
今、それができるのは残念ながら目の前にいるサディストの川西しかいないのだ。
思わず首を傾げた暢の頭の中に、あまりにも馬鹿げた考えが浮かぶ。
甘んじてサディストの遊びを受け入れれば、川西は慰める気になってくれるだろうか。
人に慰めてもらおうなんて甘ったれた考えかもしれないけれど、それでも今は一人になりたくなかった。自分の寂しさを、大切な物が手から零れ落ちてしまった悲しみを、少しでも紛らわせたかった。
「じゃあ……」
深く考えもせずに、暢の口からは切羽詰まった言葉が零れた。
「いじっても、……虐めてもいいから、傍に、いて。慰めて」
川西が驚いたように目を開いて、それから「本気か?」と問いかけてきた。頷いて返すと、川西は怒ったような顔で出るぞと言って立ち上がる。
何が起きたかわかっていない暢の腕を掴んで無理矢理に立たせると、そのまま会計を済ませた。雰囲気のおかしい二人に気付いたのか、出入口付近にいた南井と坂崎が視線を送ってきたが、何の返事もできないままに川西に引きずられるようにして店を出た。
「金は持ってるか?」
「そこそこは……」
店の入っている建物から出ると、川西は立ち止まった。
「ラブホテルと安いシティホテルと、どっちがいい?」
衝撃的な言葉に、暢は一瞬言葉を失う。
「はい?」
「お望み通りいじって慰めてやるよ。だけどうちは親いるから無理。もっとも来生がいいなら、来生のとこでもいいけど」
ちらりと視線を寄越してくる顔は笑ってはいなかった。
「……うちで、いいよ」
これから何が起きるのかよくわからなかったけれど、暢は思わず答えていた。
 
 
 
ちょっと待てと言わせる隙すら与えられなかった。
羽織っていたシャツは肩から滑り落とされ、Tシャツは胸まで捲くられ、中途半端な脱がされ方のまま暢は追い詰められた。
上半身を立てたまま、ジーンズを脱がされた下半身は膝を立てて足を大きく開かされる。そのまま胸を弄られ、肌を撫でられ、身体の中心までも触られると、嫌がおうにも身体が熱くなった。
「……っ」
「おっと。倒れるなよ」
身体を起こしているのが辛くなっても許してもらえず、暢はシャツに動きを制限される手を後ろについて耐えた。
辛い体勢に身体が小刻みに震えるのがわかったのか、川西が笑う。
性的な感覚に身体のあちこちに必要以上に力が入って、余計に暢を苦しめる。それをわかっているはずなのに川西は暢の性器をなぶりながら、さらに胸に舌を這わせた。
「んっ……」
乳首が生暖かい口内に含まれると、指で弄られるのとはまた違った感触に感じてしまって、うなじの辺りがぞくぞくする。
大分前からたまっていたうなじの熱は引くことがなく、呼応するように性器の先端からは生暖かい精液が溢れ出していて、残酷にも川西の手の動きを滑らかにさせた。
「か……わに……っ」
「なんだ、出そうか?」
煽るような声と手の動きにシーツをぎゅっと掴んだ瞬間、川西が右の乳首を思い切り噛んだ。
「ああっ……あっ」
痛みと快感に声を上げると、暢は呆気なく達した。
「気持ちいいだろう?」
射精した余韻にびくびくと身体を引き攣らせていると、川西が精液の付いた指をつつ、と奥の方へと這わせる。生まれて初めての他人によってもたらされた快感に身体が弛緩していた暢も、自分で触れたこともない場所に触られて身体を竦ませた。
川西を見上げた暢の顔が恐怖に強張っていたのだろうか。川西は微かに笑うと濡れた指をそっと差し込んだ。
「や……」
何とも言えない奇妙な感触に顔が歪む。力が入っているせいか、暢の意思とは関係なくわずかに入ってきた川西の指を締め付ける。それをどう思ったのか、川西は指を増やしたと思ったら勢いよく指を進めた。
「あぁっ……止めっ」
痛みと嫌悪感に苛められる。
「……止めろ…。お願い、止め……」
「いい顔」
暢がまるで懇願のような言葉を口にすると、川西は楽しそうに笑う。暢の嫌悪に歪んだ顔を面白そうに見ている。
そのまま精液を絡めた指を抜き差しして、下肢からのぐちゅぐちゅという聞くに耐えない音をわざと暢に聞かせる。その度に暢の口からは苦しげな息が漏れた。
「……っ」
内蔵を擦られる感触はとても気持ちのいいものではなく、川西の指によってその入口が無理矢理開かされている痛みもあいまって、暢の目には生理的な涙が浮かぶ。
「……いやだ……止めろって……っ」
後ろに突いていた両腕を動かして、のしかかって暢を見下ろしてくる川西の胸を押し返そうとする。肩から落ちたシャツが引っ掛かってうまく動かせなかったけれど、どうにして川西に身体を引かせようとした。
身体の中に異物が入ることがこんなに嫌悪を掻き立てるものだとは知らなかった。身体を中から暴かれるのは、とても気持ち悪い。
「暴れるなよ」
少しでも逃れようと目茶苦茶に動かした暢の腕を掴んだ川西は、きつい眼差しで見つめてくる。
「あんまり暴れると縛るよ?」
「っ……」
あまりの言葉に暢は動きを止める。
口元だけを笑みの形にされるとかえって川西の恐さが浮き彫りにされて、動けなかった。
大人しくなった暢の様子に満足したのか、今度は甘い顔を綻ばせて川西が指を動かして前立線の辺りを擦る。
「大人しくしてれば気持ち良くさせてやるから」
「あっ……ん……」
性感帯をダイレクトに刺激されると、閉じることのできなくなった口から勝手に声が漏れる。解放された腕は縁を求めて、無意識に川西の肩を掴んだ。
川西はしがみつく暢を笑って、そのまま倒れ込んできた。指が抜かれる。息をつく暢から一度身を離して、自分の衣服を剥いで暢の足を抱えた。
「……なに?」
「少しの間全部忘れさせてやるよ。息吐いて、力抜いてろ」
言われるままに力を抜いた瞬間を狙って川西の熱がめり込んできた。
「いっ……てー……っ」
「力、抜けって……」
促されて背中にしがみつくと肌が密着して、不思議と身体から力が抜ける。それをいいことに川西が一気に奥まで身体を進めてきた。そのまま抜き差しを始める。
「んっ……い……っ」
身体の中に圧力をかけられるようで、結構きつい。下から突き上げられる度に苦しくて口からは悲鳴のように声が漏れる。
こんなはずではなかった。こんなことになるとは、思っていなかった。
確かに、虐めてもいじられてもいいから慰めてほしかったけれど、それがこんな形だとは想像もしていなかった。
今更言い訳をしたところでどうなるわけでもない。
暢は自分の浅はかさを、少しだけ呪った。
それでも、と揺さぶられながら暢の意識は触れ合う肌にとろけそうになる。人と肌を重ねることがこんなに気持ちいいとは知らなかった。
 
 
 
朝、目が覚めてみると隣にあった温もりは無くなっていた。少し前に目を冷ましたときにはいたのだが、暢が再び眠りについている間に川西は抜けだしたのだろう。
まあいいか、と一呼吸置いてから起き出そうかどうか考えたが、もう少しだけごろごろしようと寝返りを打とうとした。その途端走った鈍痛に暢は息を詰めた。
そういえば昨晩、川西がやたらと暢の体調を慮ぱかっていた。彼が気にしていたのはこのことか。
気がついてしまうと、一人なのになんだか気恥ずかしくなってしまう。それをごまかすために、誰も見ていないのにタオルケットの中に顔を埋めた。
初めての性行為は川西のサディストぶりのおかげもあって痛みと嫌悪に溢れたものだったけれど、それでも暢の中に不思議と後悔は生まれなかった。
人の温もりを感じられたセックスは、暢の中にわずかばかりの温もりを残していった。たとえほんの一時でも自身の寂しさから逃れることができた。未知子のことを忘れることができた。それだけで十分だった。
ぱっと、閉じていた目を開けて、暢は痛みを堪えて起き出した。きっと川西はリビングで暢が起きるのを待っている。パジャマから普段着に着替えた暢はゆっくりと歩き出した。
 
 
 
年が明けた一月に、未知子は女の子を無事に出産した。身体が人並みに丈夫とは決して、口が裂けても言えない未知子が出産に耐えられるか暢は一人ではらはらしていたが、それも取り越し苦労で済んだ。
多佳子<たかこ>と名付けられた子供は母親には似ず健康体で、二歳になる頃には小さいながらも元気にはしゃぎ回っていた。
未知子も成人し、母親らしくなった。元々年の割に落ち着いていたから目に見えた劇的な変化はなかったけれど、暢から見れば随分と変わった。
自分と同じように未知子も心の内に寂しさを抱えていた。それは頼り切れる家族がいないことに端を発していたのだろうが、それが消えたように見えた。
きっと自分の家族を持ち、その家族と幸せな毎日を送っているからなのだろう。ずっとどこか奥の方に見え隠れしていた影が、消えた。
和解はしたもののわだかまりの消えなかった蓬田家とはうまくいってなかったようだったけれど、それも大きな問題ではなく、家族は幸せそうだった。
多佳子が三歳になった年に夫である蓬田一彰が交通事故で亡くなり、母娘の二人だけの生活が始まって、未知子が一人で生計を立てる苦しい生活が続いても、それだけは変わらなかった。
未知子の影が復活することはなく、多佳子と二人、幸せそうだった。
その間も暢と川西の奇妙な関係は続いた。友達以上恋人未満ともまた違う、秘密を共有し、時折肌を重ねる関係。暢が一人の寂しさに耐えられなくなると、川西に頼る。そんな不安定な関係。
けれどお互いにその不自然さには目を瞑り、そんな二人の距離は、秘密の共有度合いが濃くなる一方で、全く変わらなかった。
それでも周りには普通の友人と見られるようで、未知子には「兄さんに川西さんみたいな友達がいるなんて知らなかった。こんなに長く付き合ってるなんて、仲いいのね」とまで言われてしまった。
その後、多佳子が十歳のとき、無理の祟った未知子が身体を悪くして亡くなった。蓬田家側が内孫だけれど多佳子は引き取りたくないと拒否してきたことから、自分と同じ目に合わせたくない、と暢が引き取った。
既に三十歳になっていた暢には貯蓄もあったので、引き取ることはさほどの問題にはならなかった。
さすがにこの時ばかりは川西と会う回数も減ったけれど、不思議と関係だけは細々と続いた。
多佳子との生活は楽しかった。施設で育ち、未知子の面倒を見てきたこともあって、子供の世話で困ることもなかった。
初めは蓬田姓のまま育てようかとも思ったけれど、多佳子と話し合って正式に養女にすることにした。そうすると本当に自分の子供みたいに思えて、愛しさも倍増した。
元々よく遊びに行っていたこともあって、多佳子の方も暢に懐いていたから二人での生活は苦にならなかった。時折未知子について語りながら、若くして亡くなった彼女を偲んだ。
多佳子は自分のことを暢さんとか暢伯父さんと呼んでいたけれど、それでよかった。多佳子にはちゃんとした両親がいたのだから、無理に自分を親と呼ばせようとも思わなかった。
そうこうして忙しくも楽しい日々を送る中で、多佳子は高校生になり、短大生になり、あっという間に社会人になった。
そして多佳子が社会人二年目に入ったばかりの四月に、暢は再び衝撃的な出来事に打ちのめされそうになった。