清想空

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open05.04.12
もう一度会えたら、その後に 第15話
「や、あの、そうじゃなくて。その、聞いてたんですよね……?」
「ん? ええと、光琉くんが元クラスメートの男の子と再会ロマンスを繰り広げてるっていう話?」
「ロマンス……」
恐る恐る切り出した問いに対して軽快なテンポで返されて、咄嗟に対応できない。
きっと変な顔をしていたのだろう。麻子がすぐに続けた。
「やあだ。そんなの気にしないよ。この人の周りにだってけっこういるけど、みんな普通の人だよ」
そう言う麻子の声には何か含んでいるような色はない。いつも通りのカラッっとした話し方だ。
「誰かさんみたいに恥ずかしい語りをするつもりはないけどね。私も、人を好きになったら、それでいいじゃないかってのには賛成。もちろんそれを人に言う、言わないは別の話だけど、自分の気持ちを自分で否定するのはしんどいよ。別に悪いことしてるわけじゃないし、少なくとも自分には正直でいた方が幸せは近いと思うな」
「幸せが近い……」
「そう。意外にね、何事も素直に受け入れて、素直に返す方がいい結果が出るものだよ。例外はあるけどね。だから光琉くんも自分に素直にね」
そう笑った麻子は、お前も語ってるじゃないかと言う竜琉を問答無用とばかりに引っ張って控室を出ていった。
その場に残された光琉はほんの少しの間、麻子たちが消えていったドアを見つめてから、気を取り直して荷物を持って部屋を出た。
ひとまず二次会で『ニカさん』とやらのカップルに会わずに済んだことにほっとした。会場でうっかりあの二人に行き当たってしまったら、互いに気まずくなったに違いない。
光琉はロビーへと向かいながら、ぼんやりと麻子に言われたことを思い出した。
『自分に正直でいた方が、幸せは近いと思うな』
自分に正直に、か。
それは簡単なようでいて難しい。けれど麻子の言いたいことはわかる。
『自分で自分を否定するのはしんどいよ』
その通りだと思う。生きていく中で折り合いを付けなければならないことは多いだろうが、それでも結局のところ自分は自分だ。他の誰でもない。これが自分だからと受け入れなければならない部分は多分にある。
勿論、変わりたい、変えたいと思って、それを実行するのも選択肢として存在する。けれどその選択肢を選ぶかどうかを決めるのも自分だ。
どんな些細なものでも何かを選択するということは、そういうことだ。自分で自分の行く道を決めるということなのだ。
――俺はどうしたいんだろう。
光琉は今まで、あまり自分を好きではなかった。その一方で、自分の一部を好きになれない自分もまた、自分というものなのだと思ってきた。
自分を好きになる努力をしたかと言われれば、言葉に詰まる。人に好かれる努力をしたかという問いには、素直に頷けない。
それなのに、そんな光琉を川田は好きだと言う。あのとき『連れて帰りたい』と言った。その川田に対して、自分はどうしたいのか。
賑やかな雰囲気のロビーを抜けながら、改めて自分の気持ちを一つ一つ考えてみる。
川田を嫌いだと思ったことは一度もない。以前は会いたくないと思っていたけれど、今は一緒にいるのがそんなに嫌でもない。楽しいと思うこともあるし、憧れていた川田の近くにいられて嬉しいと感じたこともある。
……でも、ああいうことをされるのはまだ受け入れられない。
それなのに川田からの連絡が来なくて、心細いような気持ちになっている。なんとなく、不安のような。このまま川田との繋がりが切れてしまうかもしれないと、落ち着かない気持ちになる。
「あ、そうか」
エントランスを抜けたところで光琉は足を止めた。唐突に気が付いてしまった。
不安なんじゃなくて、寂しいんだ。
川田から送られてきていたメールが急に途絶えて寂しかった。だからといって、その原因を作ったかもしれない自分から連絡することはできなかった。そうするのが怖かった。
――最低だ。
連絡はいつも川田から。光琉から声をかけたことは一度もない。いつもこちらを気にかけるのは川田の方で、光琉は受け身で、ただ川田からの行動を待っているだけ。そのくせ、川田からの連絡が全然来なくなった途端に寂しがるなど、自分勝手にも程がある。
これでは本当に川田の気持ちを弄んでいるようだ。いや、以前にも思ったように、実際に光琉の行動はそうだったのだろう。
本当に最低だ。
そのまま自己嫌悪の波に飲まれそうになった光琉は、けれどそこで思いとどまった。
『自分には正直にね』
麻子の言葉がもう一度問いかけてくる。
自分に正直でいるべきだというのなら、このどうしようもなく自分勝手な気持ちもそのまま受け止めるべきなのだろうか。いつの間にか起きていた自分の気持ちの変化も。
難しいことはまだ考えられない。けれど今、川田との繋がりを失いたくないと思う気持ちは本物だ。自分勝手だろうがなんだろうが、それが嘘偽らざる正直な気持ちだ。
――だったらまずはその気持ちを、自分で認めて、受け入れる。まずはそこからだ。
光琉は自分に言い聞かせて顔を上げた。
目の前には秋の夕暮れの景色が広がっていて、見るだけで切なくなるような色の光があたりをオレンジ色に染めている。それを目にした途端、何を考える間もなく、川田に会いたいと思った。
涼やかな風が柔らかく身体を撫でていく。それに背を押されたような気がして、光琉は足を前に進めた。そこから先は立ち止まることなく、後ろを振り返らずに最寄りの駅へと歩いて行った。
 
 
 
それから数日の間、光琉は自分の気持ちについて真剣に考えてみた。
その結論は、はっきりとした結論は、まだ出ていない。でも今の気持ちを一度、川田にきちんと伝えようと思った。今までのように全部を川田任せにするのはやめる。ずっと流されてきた光琉にしては勇気のいる決断だったけれど、麻子の言葉に後押しされた。
自分に正直に。
その言葉を口の中で何度も繰り返し唱えながら、光琉は川田へのメールを打った。
一番初めに、川田との関係については考えさせてほしいと言ったのは光琉なのだから、今の時点での答えを伝えたい。だから一度会いたい。
簡潔に、でも雑にならないように注意して入力した文面を何度もチェックして、それから送信した。
光琉から川田に連絡するのは初めてだ。そう思うと不安が押し寄せてくる。川田はどんな反応を返してくるだろうか。
怖さと期待とで落ち着かない気持ちで返事を待ったが、翌日になっても川田からメールは返ってこなかった。
 
 
 
「……村野くん、何かあった?」
「ふえっ?」
斜め向かいの席の猪坂<いのさか>琳<りん>に話し掛けられた光琉は、思わず変な声を上げてしまった。書類を作成しながらついつい考え事をしてしまっていたせいで、何を言われたのかよくわからなかった。
「あ、すみません。なんですか」
「村野くん、何かあった?」
気を取り直して尋ねると、猪坂は表情も変えずにもう一度言ってくれる。
表情が変わらないのは別に猪坂が怒ったり呆れたりしているわけではなくて、これが彼の普通の表情だからだ。仕事上では場面に応じた対応をするけれど、社内にいるときは基本的に表情があまり動かない。
無表情ではないのだが、一見すると触れたら切れそうな印象の冷たい表情が猪坂の標準装備だ。だからと言って冷たい人間というわけではなく、単に並外れた美貌のせでいで冷たく見えるだけだ。イメージ的には竜琉の結婚式のときに遭遇した『ニカさん』と同じような、男なのに飛び抜けて綺麗な顔立ちのタイプ。もっとも猪坂には『ニカさん』のようなこぼれんばかりの色気はないが。
ちなみに新規顧客獲得を主目的とする営業第五課の営業だけあって、仕事はかなりできる。名実ともに添島の片腕的存在だ。そして光琉は添島と猪坂を事務面でサポートする営業事務という立場だ。三人しかいない課なので風通しはかなりいいし、年齢は違っても課員同士の仲もいい。
「あー、いやー、まあ、ちょっと。……俺、変でしたか?」
「まあ、大分ね。明らかにそわそわして落ち着かない感じだし。今週ずっとそんな調子だったから、さすがに何かあるかなって」
猪坂にこの五日間ずっとそうだったと指摘されて、さすがにばつが悪い。
「すみません……」
結局、川田からの返信はない。どうなっているのか、川田があれをどう思ったのか、いつ返事がくるのか、何もかもがわからないせいで始終落ち着かなかった。それが仕事中も態度に出ていたとなれば、謝る以外にない。
「別に謝る必要はなし。仕事はいつも通りちゃんとできてるし。でも村野くんがそんな風になるなんて珍しいね」
口元をわずかに緩めた猪坂の微笑に、光琉は一瞬だけ見とれてしまった。整いすぎた容姿というのは時として凶器になる。猪坂本人がその威力をよく分かっていないのが目下の問題だろう。
「何があったのかは知らないけど、いい方にいくといいね」
「うっ……、はい」
激励を受けた光琉は申し訳ない気持ちで頷くのが精一杯だった。せめてもの救いはその場に添島がいなかったことだろう。もしいたらこの話は速やかに出口まで伝わっていただろうから。
「はあ」
助かったと思いながら、さらしてしまった失態に自分で呆れて大きなため息をついた。
結局、川田から返答があったのはそれからさらに数日後、メールを送ってから一週間半後のことだった。
『来週の土曜なら予定が空いてる』
メールの内容は簡潔で、返事が遅くなったことについては触れられていない。そのことに不安を覚えたが、それでも会う約束ができることに光琉は安堵した。
早速返信をして、翌週の週末に会う約束を取り付けることに成功した。
「よし」
まずは自分の伝えたいことを伝える。それが第一だ。
光琉はそのことをもう一度確認してから、川田に伝えるべきことをリストに書き出し始めた。ぶっつけ本番には弱い方なので、きちんと準備して行かないときっと酷いことになる。
それを避けるために入念に準備したのに、約束の日が近づくにつれて今本当にうまくやれるかどうか不安と緊張に襲われるようになった。その結果。
「……村野くん、今度はどうしたの」
光琉は猪坂に再び挙動不審を咎められる羽目になった。