清想空

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open05.04.12
もう一度会えたら、その後に 第13話
「ちょっと落、なにや、んっ」
「ん、あの格好だったら村野のやつの参加者だろ。あいつの関係者でこんなことでとやかく言うやつなんかいねえよ」
「でも、ん、会社の、人だったら、どうするんだ、よ」
「近くのテーブルにあの顔はなかったから会社関係じゃない」
「この後、誰かくるかも、しれないだろう」
キスをしているのだろうと想像できる細切れの会話の途中で、もういいからちょっと黙ってろという声がした。それを合図に一度静かになって、少ししてから悩ましげな吐息がかすかな音として聞こえてきた。
勘弁してっ。お願いだから俺がここにいることを忘れないでっ。
いたたまれない気持ちになりながらも個室から出るに出られず、だからと言って何かしようものなら派手に音を立ててしまいそうで、動けない。
結局は息を殺して様子を窺うことしかできなかった。
「とにかく、二次会では酒は禁止だ」
「……わかった」
「じゃあ行くぞ」
「ん」
短い会話が終わるとコツコツという音が数回して、その後は足音が聞こえなくなった。通路に出て床が絨毯になったのだろう。
光琉は念のためしばらく息を潜めていたが、もう人の気配はないようだった。
それを確認して盛大なため息をついた。
「はあーっ」
頭から手を離して脱力する。
なんだかすごいものを見てしまった……。
電車の中で無駄にイチャイチャしていたり、駅の構内でキスしていたりするカップルは見たことがあっても、こんな至近距離での男同士のキスシーンなど見たことがなくて、光琉には刺激が強すぎた。
実際にはその瞬間を見たわけではないが、それにしてももう少し人目をはばかってほしかった、というのが正直な感想だ。
人に見られても気にしないなんて、光琉にはとても真似できない。
そう思って頭の中でさっきの二人を思い浮かべようとしたのがいけなかった。
うわわわわーっ。
ぽんっと思い出してしまったのは今さっき目撃した二人ではなく、これまでに幾度かあった川田とのやり取りだった。
人の目を盗んではキスをされ、背中を抱かれた。その記憶が妙にリアルに蘇ってきて、光琉はその恥ずかしさに耐えられず、その場で床を踏み鳴らしてしまう。
考えてみれば、誰に見られるともわからない状況で引っ付いていたのは、自分たちも変わらなかった。むしろあまり場所を選ばなかった川田の方が、余程たちが悪い。
過去の所業のあまりの恥ずかしさに顔が熱くなってくる。なんだか変な汗まで出てきてしまって、問題の二人がいなくなったというのに、光琉はしばらくの間個室から出られなかった。
 
 
 
「はあ」
変な興奮状態が収まった光琉がトイレを出た頃には、列をなしていた招待客はすでにいなくなっていた。
ぱっと辺りを見回してその場に家族の姿がないことを確認した光琉は、ひとまず控室に戻った。
どこに行っていたのかと問う母親に、気疲れしてトイレで休んでいたと答えておく。予想外のできごとに行き当たって、休むどころか余計に疲労が増したような気がするが、とりあえず嘘はついていない。
両親の片付けはすでに終わっていたので、光琉は挨拶をしてそこで別れた。お茶でもどうかと誘われたが、直前の出来事のせいでとてもそんな気分ではなかったので断った。
今日の主役の竜琉と麻子はこのまま二次会へとなだれ込んで、このホテルに泊まる手筈になっている。光琉は二次会には参加しないので、挨拶をするなら今しかない。
光琉は新郎控室へと足を向けた。
ノックの返事を待ってから部屋に入ると、竜琉はすでに紋付袴姿から黒のタキシードに着替えていた。麻子の方の準備へ回っているのか、ホテルのスタッフはいない。
「光琉か」
「お疲れ」
「さすがに披露宴は長かったなあ」
そう言ってため息をつくものの、ゆったりと椅子に腰かけている竜琉の顔には疲労は見えない。
「まだこれから二次会があるだろ」
「二次会はもっと砕けた雰囲気だからな。そんなに肩肘を張らなくてもいいから気が楽だ。折角だからお前も出てけよ」
「勘弁。大体、二次会の参加者ってそっちの友達関係だろ。知ってる人なんていないし、明らかに俺浮くから嫌だよ」
賑やかな会場で居心地悪く過ごすのがわかりきっていて、それでも参加したいとはまったく思わない。
「お前な、そこは社交性を発揮して、新しい知り合いを作るチャンスにするもんだろ」
「あいにく俺にそんな社交性は備わってないよ。知ってるだろ。俺は内弁慶タイプなんだって」
「そこで威張るなよ」
苦笑する竜琉に威張ってないと答えて、そういえばと思い出す。
「そういえばトイレで、なんかすんごい綺麗な男の人を見たんだけど、あれって兄貴の知り合い? ちょっとこう、すらっとした感じの人だったんだけど」
「あー、それ多分ニカさんだな」
ニカさん。
なんだか聞き覚えがあるような響きだ。
「俺の中学んときの先輩で、だからかれこれ二十年近い知り合いか。うわー、そう考えるとびっくりするな」
言葉にすると改めて付き合いの長さを実感したのか、竜琉は感慨深げに呟いた。
「昔から美人っていうか、ちょっと浮世離れした雰囲気がある人だったなあ。いろいろ事情はあったんだけど、いつまでもフラッフラッ、フラッフラッして危なかっかしくて、俺あ目が離せなかったよ」
「そ、そうなんだ……」
「ま、でもようやく落ち着いてくれて、俺としても肩の荷が下りた気分だ」
まるで保護者のような発言をして竜琉は大きく息を吐いた。
その『ニカさん』とやらと竜琉がどういう関係なのか気になったが、懐が広い竜琉のことだ。きっと『ニカさん』を見守るような気持ちでいたのだろう。
「ああ、ニカさんといえば。ほら、お前に知り合いを紹介してやるって話、あれニカさんのことだぞ」
「えっ、そうなのっ」
まさかそんなところで話が繋がるとは思っていなかった。
目を見開いて驚く光琉の様子をどう思ったのか、竜琉が笑う。
「そうなんだ。そうだ。せっかくの機会なんだし、二次会で紹介してやろうか」
「え、いや、……いいよ」
答えに一瞬詰まったのは、トイレでの光景が頭をよぎったからだ。
ああ、つまり、そういうことなのか。
竜琉が紹介するというのだから、『ニカさん』は男同士で付き合う人なのだろう。だったらさっきのあれも納得できる。納得できるが、だからといってあれを恥ずかしくないとは、とてもではないが言えない。
「……何かあったのか」
じっと竜琉に見られて、光琉は心臓が口から飛び出るかと思った。
だからなんでピンポイントでそういうのを感知できるのか、不思議で仕方ない。
「何かって、なに? なんにもないけど」
「いや、お前明らかに態度が不自然。昔から嘘が下手だよな」
「時と場合によるけど、嘘が上手いよりは下手な方がいいと思う……」
「で、何があったよ」
せめてもの反抗をしてみたものの、まともに取り合ってもらえなかった。竜琉はもう何かを確信しているような素振りで先を促してくる。
こうなると光琉には逃げ道がなくなってしまって、結局は不承不承ながらさっきのできごとについて話すことになる。
「いや、そのさ。さっきトイレに行ったら、その『ニカさん』とやらが男の人とキスしてたんだよ。あ、いや、正確に言うと、キスした直後か、する直前に行き当たったんだけどさ……」
「……」
「俺もさすがにびっくりして、でもだからって凝視するのも失礼だと思って、急いで個室に入ったんだけど。そしたらさあ、なんかその二人が誰も見てないのをいいことにキスしてる感じでさ。もう俺どうしたらいいのかわかんなくて、とにかく息を殺してじっとしてるしかできなくて」
「……」
「しかも『ニカさん』とやらはお酒のせいなのか、顔がうっすら赤くなってて、なんつーか妙な色気みたいなの出ててさあ。目の毒っていうのはああいうことを言うのかね……?」
渋々とした感じで話し出した割に、言葉がどんどんと連なっていく。本当は衝撃的だった出来事を自分の胸の内にだけしまい込んでいることなどできなくて、誰かに話したかったのかもしれない。
話すにつれてそのときのいたたまれなかった心情まで思い出されて、語り口にもつい熱が入ってしまう。
「結局二人が出てくまで、俺、個室から出られなかったんだよっ。男同士のキスシーンなんて今まで見たこともないしさあ。俺は一体何をどうすればいいわけっ?」
八つ当たり気味に言葉を切ると、額に手を当てた竜琉が腹の底からすべての空気を押し出すような特大のため息をついた。
「はあああああ」
そのあまりの呆れっぷりに、気分が少し落ち着いた。竜琉に話して少しすっきりした。
「あいつら、まったく何をやってるんだか。……お前も運が悪かったな」
刺激が強かったかとからかわれてぐっと詰まったが、本当のことなので口をへの字に曲げながら頷いた。
少なくともあんなに毒のある色気を持つ人は初めて見た。
ああ、でも、川田もたまにあんな感じの雰囲気になるなあ。
ついでにそんなことまで思い出して、光琉は自分の考えにうろたえた。
だから、なんで、川田を思い出しちゃうかなあっ。
やぶをつついて蛇を出す、だ。慌てて自分の考えを振り切ろうとして目を強く閉じる。幸いにも竜琉は『ニカさん』の件が原因だと思ったのだろう。気の毒そうな視線を寄越してきた。
「まあ、なんだ。ニカさんたちもついこの間まとまったばっかりなんで、ちょっと浮かれているだけなんだと思う。……悪いのは主に相手の方だと思うがな」
「そうなんだ……」
たしかに背の高い男の方が強引にしていたような。
いっそ見せ付けてやろうという意思のようなものすら感じた。
「あ、でもお前、ニカさんの色気に当てられて困ったのはいいけど、男同士気持ち悪いとかそういうのはなかったのか」
言われてみると、驚きはしたけれどあの光景を気持ち悪いとは思わなかった。
「……それはあんまり」
「ふぅん、そうか」
「なんだよ」
竜琉がにやりと笑う。
なんだか嫌な予感がする。
「ま、偏見がないのはいいことだ。ニカさん紹介してほしくなったら言えよ。経験豊富だから。ああ、そういえばあれだ。ニカさんはお前の大学の先輩でもあるんだぞ。在籍年度は被ってないけどな」
「えっ」
「いいか、ニカさんはああ見えて、三十六歳だ。俺より約五歳年上だ」
「えええっ」
ちらっとしか見ていないけれど、とてもそんな風には見えなかった。もっと若い、光琉と同い年か、少し上くらいにしか見えなかった。とてもではないが信じられない。
三十六歳って! 経験豊富って! ……って、いやいやいや、そんな情報はいらないってっ。しっかりしろ俺。
一度に多くの情報を与えられたせいで頭の中がぐるぐるする。そんな状態なのに、竜琉は畳みかけるように続けた。