清想空

若里清によるオリジナル小説サイト

©2020 Sei Wakasato All Rights Reserved.
無断転載等のことはしないでください。

open05.04.12
その瞳に映る人 第7話
七月初めの週末の金曜日。二科は数日前の淫らで充足感を覚えたセックスの余韻だけでしばらくの間は十分だと多少浮かれた気分で会社を後にした。
忙しい月末も終わりようやくひと心地つける体勢になったのだから、週末は本でも読みながらゆったりと過ごそうなどと考えていた二科は、数メートル歩いたところで動きを止めることになった。
視線の先にはガードレールに腰掛けている落がいた。
落はそこから視線を二科にだけ向けている。長身を持て余しているのか、人込みの中で邪魔にならないようにしているのか、長い足を折っている。Tシャツにジーンズと服装は相変わらずラフなものだ。
二科は目を見開いた。
もう来ないだろうと思っていた。
あれからもう大分時間が経っているのだ。今更現れることもないだろうと考えていただけに、衝撃は大きかった。
――つくづく僕は馬鹿だ。
いつ落が現れるかとびくびくしていたくせに、実際に現れたときのことをまったく考えていなかった。
そんな自分に愕然とする。どれだけ楽観視していたのかと、自分を罵ってやりたい。
頭のいい人間があれで引き下がるわけがないのだ。
ゆっくりと近づいてきた落に、なんで、とだけようやく口にできた。逃げることはしなかった。
落は明るいところで見てもやはり少し野性味の強い癖のある顔でにやりと笑って、ジーンズのポケットからあの夜に取り上げた二科のネックレスを取り出した。
「それ……」
さらに目を瞠った二科は咄嗟に手を伸ばしていた。
その仕草を見た男はこれを返してほしいだろうと言い、返事をできない二科の心を乱したまま、あの時のようにホテルへと二科を連れ去った。
抵抗はしなかった。
切り札はまだ落が握っている。事の主導権は始めから落にあったし、こうして始まってしまえば身体の関係が続いてしまうことは、二科にもわかっていた。
そしてまた、自分の身体が寂しさと快楽に弱いことも二科は知っていた。
「何するんだ! 返せっ」
「と言われて返すやつがいるかよ」
「ああっ」
部屋に入るなりネックレスを取り戻そうとした二科をあしらった落は、さっさと二科の服を剥がした。
「いいもんつけてんな」
全裸にさせられた二科の左胸の上にはっきりと残る鬱血に、落は眉を跳ね上げた。
つい先日情熱的に二科を抱いた男が付けたものだ。平日にも関わらず男に抱かれたいほど淫乱なのかと嘲笑う落に反論しようとして、果たせなかった。
突き飛ばすように二科をベッドへとうつ伏せにして、落は上から押さえつけた。抵抗する二科に、大人なら大人のおもちゃを使って楽しむべきだと言って、肘の上の部分に手錠をかけてくる。
どこからそんなものを出したのだと叫べば、客にもらったものだと明らかに嘘だとわかるようなことを言い、そのまま嫌がる二科を背後からスキンを付けずに犯した。
行為が終わり手錠を外されても、中に射精され震えたままで身じろぎもできなかった二科は落に抱えられて浴室へと連れていかれた。そしてそこでも立ったまま正面から挿入された。
五月の夜とは比べものにならないほどに乱暴な行為だった。
まだ開ききっていない身体を強引に割り開き、痛みに泣きわめく二科など無視して腰を動かす。けれどそれすらも落の身体と自分のそれが快感に変換させていった。
痛む身体が次第に快感に震え出し、むしろそれが強烈過ぎて辛いと訴えれば、落は目をつむってあんたの好きな兄さんにやられてると思えと何度も繰り返して、さらに行為を激しくした。嫌だと泣きじゃくっても許されることはなく、最後まで手酷く貪られた。
二度中に出された精液を浴室での行為の後に落の指にかき出されて、再びベッドに沈んだ頃には二科は疲れ切って、声を出すのも億劫になるくらい疲弊していた。
落はそんな二科を労るような素振りを見せたけれど、ネックレスを返せと声を絞り出した要求には応えず、さらりと流れる二科の髪に触れて帰っていった。
しばらくしてようやく熱の引いた疲れきった身体は、ベッドにうつ伏せになったまま泥のような眠りに取り込まれていった。
結局その日はネックレスを取り返すことも、帰宅することもできなかった。
 
 
 
その日以来、もう一週間以上も二科は今のような悪夢に苛められている。状況や場面は日によって違ったが、祥啓に酷く抱かれる部分だけは共通していた。
いいだろう。これが好きなんだろう。感じるんだろう。
身体だけでなく言葉で責められるのは、現実の二科にとっても痛くて仕方がなかった。祥啓に乱れる様を見られるのも、現実でなくても嫌で嫌でたまらなかった。
なんで今頃になって、こんな目に合わなければならないのか。どうして今になって苦しまなければいけないのか。
そしてまた、祥啓との情事の感触が生々しすぎて嫌になる。夢の中とは言え、祥啓を貶めたようで、二科の中で罪悪感がどんどん膨らんでいく。
こんな風に祥啓に抱かれることを望んだわけではなかった。こんなにリアルなものなど欲しくはなかった。
はっきりと初めての恋と性を認めた頃は、二科も人並みに好きな人に抱かれるのはどんな感じなのだろうと思っていた。祥啓に抱いてもらうことができたらどんなにいいだろう、とろけるくらいに気持ちいいかもしれない、と思うことも少なくなかった。
けれど一度でも体験してみれば、今まで経験したことのないひどい罪悪感でいっぱいになるだけで、得るものなど何もない。幸せな気分になどとてもなれなかった。
欲しかったのは欲求の果てのこんな罪悪感などではなくて。もっと切実で、そしてもっと大事だったのは、変わらずに祥啓が二科に与えてくれる親愛の情だった。
二科はそれがあるだけでよかった。ただただ祥啓が好きだったのだ。
本当は、二科はただそれだけの存在なのかもしれない。小さな頃からずっと、まるで祥啓の情しか知らない鳥の雛のように慕い、見つめて。それ以外のものを持たず、小さな世界で生きる子供なのかもしれなかった。
二科にとって祥啓は親代わりのようなもので、だからこそ祥啓は大切で、二科にとってなくてはならない存在でもあった。
二科の母親は比較的おっとりした人で、次男で末っ子に当たる二科には甘い態度で接することが多かった。それを諌めて二科に厳しい態度をとるのはもっぱら五歳年上の祥啓の役割でもあった。
厳しいことを言う兄を子供らしくちょっとむっとした気持ちで見つめることもあったけれど、それでもきちんと二科を見て、褒めるところは褒めてくれる兄が大好きだった。
だから余程のことがない限り、二科が反抗することはなかった。お兄ちゃん、お兄ちゃんと懐いて、なんでも祥啓の真似をしていた。
学校での友達とよりも、祥啓と共に何かをする時間の方が圧倒的に多く、二科は自他共に認めるお兄ちゃん子だった。
五歳も年が違えば価値観も、見えるものも、何もかもが、世界が違うかのような感覚だったはずだ。それでも祥啓は幼さを残す二科を子供と馬鹿にすることはなかった。長男気質を備えていたというのか、子供が好きだったのだろう。
だからこそ父親の前だと萎縮してどうすればいいのかわからない二科も、祥啓の前では自由に伸び伸びと過ごすことができた。
自分を自分と認め、決して蔑ろにしない存在がいることで二科も確かに救われていたのだろう。母が二科のことを祥啓に任せていた理由も、その辺りにあったのかもしれない。
そんな、祥啓が二科の保護者であるような関係は二科が成長し、成人するまで続いた。その間に祥啓は二科の中で理想の父親像としてインプットされ、また同時に憧れ続ける存在になっていった。
成人してからもそれは変わらない。祥啓は成人した二科に、これで大人同士対等だと言ってくれたが、二十年の間に植え付けられ、育ってきた感覚や気持ちはそうそう変わらない。
二科にとって祥啓は、やはり温もりを与えてくれる存在だった。
だから二人の関係も変わらない。ただ大人になった二科だけが変わってしまっただけだ。
どうしようもなく祥啓を好きだと気付いてしまった。
身の内に余りある恋情に、気が狂いそうになることがあった。行き過ぎた想いに、二科は祥啓を求め過ぎてしまった。そんな自分を抑制するために他の男に抱かれるようになり、抱かれる快感に溺れるように行為を繰り返した。
祥啓に知られたくないような秘密がたくさん増えた。言えないことばかりが増えた。
それでも二科はそれを押し隠してでも祥啓との穏やかで、温かで、父親からは得られなかった愛情をもらえる関係を崩したくなかった。行き過ぎたファザーコンプレックスとしか言いようのないものだったけれど、二科はどうしてもそれを捨てられない。
だから疚しくても、気持ちが報われなくて辛くても、家族として愛してもらえればいい。変わらずに二科に情を与えてくれれば、それでいいと本気で思っている。
そこに嘘はないはずなのに、祥啓に抱かれる生々しすぎる夢を見てしまうから、二科はいっそ死んでしまいたいような気持ちになる。
祥啓を強烈に求めていた気持ちは既になくなっている。身体の欲求だけを満たしたい時期はとうに過ぎていて、ここ数年は祥啓に対する渇望も落ち着いてきている。
祥啓が結婚し子供をもうけたことが大きかったとは思うが、二科が歳を重ねたことが一番の要因なのだろう。三十歳を過ぎた頃には、もはや愛情に対する執着としかいいようのない気持ちに半ば諦めを覚え、折り合いを付けることにも慣れた。
子供からいい父親である祥啓を奪って、自分のような歪みを抱えさせたくはない。そしてまた、二科の気持ちを祥啓が拒むことはなくても、受け入れるはずがないこともわかっている。
だから、祥啓とどうこうなることについては諦めてもいた。その代わり、優しく丁寧に抱いてくれる男を祥啓に置き換えて、こんな感じなのかなと、ちょっとだけ夢想する悪戯を覚えたけれど。
自分でも悪趣味だと自覚していたが、抱かれている間だけの夢、実感の伴う妄想として二科のひそかな楽しみになっていた。それでも、今夢に見ているような生々しさに比べれば本当にお遊び程度のものだ。
「くそ……あの野郎」
こんなことになるなんて予想もしていなかった。
落に会ってから何度目になるのかわからない口汚い言葉が弱々しく口から零れ落ちる。
落に抱かれた二回目の夜に、ひたすら行為を苦しがっていた二科に落は繰り返し言ったのだ。祥啓に抱かれてると思えと。
思い返せば夢の中で二科を抱く祥啓は普段の彼ではなく、行動はそのまま二科を抱くときの落だった。それに気付いてしまえば、なおさら二科は怒りを抱えるが、それも持続させられない。
毎日のように見る淫らで、けれど甘い気持ちになどまったくなれない二科を苦しめる夢のせいで、二科は慢性的な睡眠不足に片足を突っ込んでいる。
ゆっくり寝たいと思っても、必ず夜中に一度は目を覚ましてしまうのだ。
夢を見た覚えがなくても、叫んで目を覚ます。身体は汗だくで、けれどシャワーを浴びるだけの気力もない。そのままうとうとと浅い眠りを繰り返して、気が付けば起きる時間になっているというパターンの繰り返しだ。
当然朝の目覚めは良くない。身体はよく休めていないし、精神的にもすぐれないしで、二科の食欲はがた落ちだ。
あげくに七月の半ばを過ぎた気候は完全に真夏のそれになっていて、容赦なく降り注ぐ日の光と異常なまでの高さになる気温に、さらに食欲を奪われ、体力を根こそぎ持って行かれそうになる。
このままじゃ夏ばてで倒れるな。
自分でも危険だと思うものの、こればかりは自分の意志でどうにかできるものではない。とりあえず社会人としてぶっ倒れるわけにはいかない、という意地で生活を維持していたのだが。
ゼリー状の栄養補給食とつつく程度のサラダ、それと野菜ジュースだけの食生活は予想に反してかなり長持ちしたが、それも八月の月初を過ぎてしばらくして限界を迎えたのだった。