その瞳に映る人 第6話
すごく好き。
その声が好き。微笑んでくれるのが好き。時々怒るのがすごく恐いけど、自分をきちんと見てくれるところが大好き。
お父さんなんかよりお兄ちゃんの方がうんと好き。
なんだかふわふわとした心地でそんなことを思っていると、二科の耳に大好きな声が飛び込んできた。
『紗、中学受験よくがんばったね』
『うん!』
兄の祥啓<しょうけい>にくしゃくしゃと柔らかい髪を撫でられて、小学校を卒業する頃になってもなお少女めいた容姿をしていた二科は視線を上げた。
第一志望の私立中学に合格した二科を褒める祥啓の声に心が一杯になる。褒められるのが嬉しかった。
とびきりの笑顔を向けた幼い二科は猫のように、載せられた手に頭を擦りつけるように下を向いた。兄の男っぽい骨張った手で頭を撫でられるのが、幼い頃の二科はとても好きだった。
二科の動きに気をよくしたのか、祥啓はますます手を動かしてわしゃわしゃと髪をかき混ぜる。
『もう、お兄ちゃん、髪がぐしゃぐしゃになるよ』
柔らかい髪の毛はまだ子供の髪質でもつれやすい。手が離れていくのは残念だけれど、髪が大変なことになるから止めてほしいと言うと。いつもとは違う雰囲気の声が返ってきた。
『ふうん』
手を止めた祥啓の声に違和感を覚えて視線を向けると、二科の白いほっそりとした指が大きな手に捕えられた。
『紗はこういう方が好きかな』
『……っ、兄さん?』
何か秘めたものを感じさせる笑みを刻んだ祥啓の唇が、二科の指に触れる。ちゅっと音を立てた唇が指先から離れたと思ったら、すぐに濡れた赤い舌が指の股に這い始める。
『!』
目の前の光景が信じられなくて、目が離せない。
ふと、兄の顔がいやに近くに見えることに気が付いた。
いつの間にか二科は子供の姿ではなく成人のそれになっていて、目の前の祥啓も青年から大人の男へと変わっていた。
『な、に、してるの?』
発する声は動揺のあまりあどけない響きになった。
『紗はこういうの、好きだろう?』
『あっ……』
まとめた指をくわえられてたっぷりと唾液を絡められる。淫猥な音を立てながら口から出したり入れたりを繰り返されると、性器をそうされる感覚と重なって我知らず腰が揺らめいた。
『あ、や……』
いやらしい腰の動きに気付いた祥啓が、空いている方の手でぐっと二科の尻を掴む。そのまま揉まれると指が食い込んで痛いのに、なぜか気持ちいい。
やだ、なに、何が起きてるの。
うまく状況を飲み込めず、うろうろと視線をさ迷わせているうちに指が解放されて両手で尻を揉みこまれる。ぐにぐにと強く揉まれて声が出そうになる。
こんなことは誰にもされたことがない。
ただ尻を揉まれているだけなのに、なんでこんなに気持ちがいいのだろう。
濡らされた指をどうすればいいのかも判断できないまま戸惑う二科に、けれど祥啓の指は待ってくれなかった。気が付けば指は尻の奥へと忍び込み、服の上から二科の敏感な箇所を擦っている。
直接ではない接触が余計に感覚を鋭敏にするようで、二科は嫌だと頭を振った。
『兄さん、やめて……』
『どうして。紗はこれ、好きだろう?』
『ん!』
言葉とともに祥啓の指が二科の中に挿し込まれる。
気が付けば二科は裸になっていて、立ったまま向かいの祥啓の指を受け入れさせられていた。
乾いたままの指がじりじりと入ってくるが、さすがにスムーズとは言えない。祥啓もそれに気が付いているのか、指先を埋めては抜く行為を繰り返している。
『やだ、やだ』
その場所は暴かれたくないと祥啓の腕に手をかける。けれど逆に腕をとられた。
『や! やぁっ』
再び祥啓に捕まった濡れた指が二科のすぼまりへと押し付けられ、ぬぷりと中へと潜り込む。
必死で抵抗しても指を進めさせられる。
くちくちと音を立てながら自分の指が出入りしている。その事実に、懇願する声が湿り気を帯びた。
『や、や、……やめて』
何か言おうとすれば身体に力が入って指を締め付けてしまい、強いられている行為なのに身体がわななく。
『あ、うっ』
自力で立っていられなくなって祥啓の胸に凭れる。尻を後ろに突き出すような形になって、さらに指を受け入れる羽目になってしまう。
自分の身体なのに、何一つ思うようにできない。
『も、もう、やめて、やめて……っ』
祥啓にこんな風に扱われるのは嫌だった。淫らに反応してしまう自分も、それを見られることも途轍もなく嫌だった。
とにかくやめてくれと服をきつく握った。それなのに祥啓はまたもなぜと問うてくる。
『紗はこれが好きなんだろう?』
断ずる響きの声に、はっと顔を上げたときには二科はベッドに横たわっていた。真上に祥啓の顔がある。逃げる隙はなかった。
『こうやって中を弄られるのが好きなんだろう』
『嫌だっ……ああ!』
自身もいつの間にか全裸になった祥啓が二科の抵抗を押さえ付けて、正面から硬いものを押し込んでくる。ぐいぐいと押されて、まるでそこに入るのが当然のことであるように、ずぶずぶと祥啓のすべてが二科の中に納まってしまう。
たいして慣らしてもいないのに痛みをまったく感じなかった。
何かがおかしいのに、それが何なのかはっきりわからない。ただ、とにかくおかしいことだけはわかっていて、二科は必死でもがいた。
そんな二科を嘲笑うかのように祥啓が腰を突き込んでくる。慣らすような動きもないままに強引に強く突かれて、二科の口からは悲鳴のような声が飛び出す。必死にやめてくれと訴えた。
いやだ、いやだ、こんなのはいやだっ。お願い放して、出ていって。こんな自分を見ないで。
思い付く限りの否定の言葉を投げ付けた。けれど願いが叶えられることはなく、一つ言葉を吐くたびに祥啓が動きを激しくする。痛くはないが、強烈な摩擦感と肌のぶつかり合う音に頭がおかしくなりそうだ。
『嫌じゃないだろう』
『……んっ』
ふるふると頭を横に振ると祥啓が笑って、身を引いた。思わず追ってしまった身体を勢いよく裏返され、すぐに背後から貫かれた。
『ああっ』
嫌だと思うのに身体が熱い。後ろからより深い位置まで犯されて、そこから運ばれる快感に二科の性器がとろけそうになっている。自分の身体を呪いたくなったが、今更もう何もかもが遅い。
『ほら、いいんだろう。こうやって突かれるのが好きなんだよね?』
蔑むように強くリズムを付けて抜き差しされて、それが嫌だから頭を振っているのかどうか。肌を伝っていくものが汗なのか涙なのか、それすらももう二科にはわからなかった。
『もう出すよ』
『いやっ、いやっ、だめ!』
律動に合わせて揺られている二科の腰をぐっと掴んで祥啓が囁いた。
泣き叫ぶ二科の下腹部は本人の意思に関係なく中にあるものを締めつける。呼応するように祥啓が中をごりごりと擦するから、堪えられなくなった。
『いやあぁぁぁっ』
悲鳴をあげた二科の中に祥啓がどぷりと射精した。
中を濡らされた二科は、快感とも不快感ともどちらにも思えるぞわりとした感覚に震えた。
下肢に一気に熱が集まる。
身体が勝手に上り詰めようとしていた。だめだ、だめだ、と思うのに走りだした身体は抑制がきかなかった。
『だめっ、だめっ……あああああっ』
二科の性器がびくりと震えて精液が勢いよく飛び散った。
叫んだ声にはっと目を開いた二科は、高く白い天井が眼前に広がっていることに気が付いて、詰めていた息をゆっくりと吐いた。
何かに追い掛けられていたかのように、心臓が早鐘のように鳴っている。呼吸も浅い。びっしょりと汗をかいていて、皺くちゃになってしまっているパジャマの襟と背中の部分が濡れて冷たい。
夢だ。現実じゃない。
自室のベッドに寝ているのがわかって、強張っていた二科の身体から力が抜ける。緩慢な動作で起き上がってズボンの中を確認してみるけれど、吐精はしておらず下着は濡れていなかった。
現実には何も起きていないことに心の底から安堵する。同時に、繰り返される悪夢に二科は泣きそうに顔を歪めた。
どうしてこんなことになったんだと、立てた膝に顔を埋めた二科は苦々しく吐き出した。
約一ヶ月半前の夜。五月の半ばの、まだ夜は冷える時期に二科は初めて落に抱かれた。
あの後、タクシーを使って午前一時過ぎに帰宅した二科には、シャワーを浴びる気力すら残っていなかった。どうにかパジャマにだけは着替えて、そのままベッドに倒れ込むようにして眠りについた。
翌朝、いつもより遅く起き出した二科はだるさと、身体の痛みと、腕にできた薄紫の痣に閉口して、盛大なため息をついてからベッドを抜け出た。
日に焼けていない白い肌に残った跡は、腕の細さとあいまって痛々しい。
誰かにいたぶられたとわかるそれは明らかにセクシャルな匂いをさせていて、とても人には見せられない。せめてもの救いは、長袖のシャツを着ていられる今の時期ならそれが人目につかないことだった。
その痣は一週間もせずに消えた。皮肉なことに縛り方がよかったのだろうか。
痣が完全に消えるまでの間、二科は落がいつまた現れるかと身構えていた。だが、あの男はいつまでたっても現れなかった。
そのことに不審を抱きつつも、二科は自分からは行動を起こさなかった。
落の連絡先は村野に聞けばわかるだろうが、そんなことはしたくなかった。
自分から連絡をとるようなことをすれば、弱みをさらに握られることになる。そうなったら落を調子づかせることになるはわかり切っている。それだけは絶対に嫌だったのだ。
取られたネックレスと天秤にかけても、二科は今以上の苦境に追い込まれるよりはと、ぐっと堪えた。
あのネックレスは、数年前に祥啓がどこかの店で見かけて二科に似合いそうだからと買ってきてくれたものだった。二科にとって、とても大事なものだった。デザインも気に入っていた。
それをこんな形で手放すことになるのかと、悔しく思いながらも半ば諦めてもいた。
それから二週間、三週間と過ぎていき、あっという間に月末が二回去っていった。気がつけば暦は七月になり、気候も大分夏らしくなっていた。
背広がいらなくなり、シャツの袖が七分になった頃には、もう落は現れないかもしれないとすら思った。
それはそれで平和な終わり方でいい。
あの五月の夜の後、二科は平静ではいられなかった。手酷い快楽を教えられたせいで、人と肌を重ねるのが恐くなってしまった。
誰にも許したことのない行為に乱れ、中に出されたことにさえ快楽を覚えた。それを見透かされるのではないかと、背筋が寒くなるような思いに捕われたのだ。
誰かに身を委ねて、自分を暴かれたら。奪われるように強引に生での行為を強要されたら。
そう考えると誰かに触れられることに耐えられそうになかった、そんなことになったらと想像するだけで眩暈を起こしそうなほどだった。
それが妄想のような危惧だと二科自身もわかっていた。
まさかそんなことがあるわけない、ばかばかしいと思う。
けれど完全に否定できるだけの材料はなく、二科は落に付けられた傷を癒すためにひたすらじっとして夜を過ごした。
その間、馴染みの相手とも夜を共にすることもなかった。強烈な体験の後では、それでも特に問題はなかった。
そして忙しさのピークの六月末を過ぎて七月の月初を迎えた頃になってようやく、二科は人恋しく、誰かの肌が恋しいと思えるようになった。
そのときは週の半ばにも関わらず、夜の街で引っ掛けた男に情熱的に抱かれた。久しぶりの快楽に乱れるだけ乱れた二科は、このまままた、これまでの日常に戻っていくのだろうと思っていた。