三日前に会って、大晦日の今日もまた落と会っている。
落と会うのにこんなに間が短いのは初めてだ。なんとなくそわそわしてしまうくせに、落の側は不思議と心地良い。
招かれて初めて訪れた落の部屋は同じ1DKでも二科の部屋よりも広かった。その分都心からは少し離れるが家賃もそこそこの金額で、二科の部屋から二十分もかからない距離にあることを含めて、なかなかいい物件だと思う。
「ところで」
広いダイニングの窓の近くにある二人掛けのソファに座って、特に興味もないけれど一番ましだからという理由で紅白歌合戦を見ていた二科に、落が食後のコーヒーを渡しながら切り出した。
「なに」
礼を言ってカップを受け取りながら落を見やれば、落は立ったまま自分のカップに口を付けている。二科もひとまずは温かいコーヒーを一口啜って、落が続けるのを待った。
「あんたのことどう呼べばいい?」
「どうって?」
「なんて呼ぶのが一番いい。いつまでもあんたって呼んでるのも味気ないだろ」
言われてみればその通りだ。二科にしても、いつまでもあんた呼ばわりされるのはあまり心地良いものではない。
それにしても、落も案外細かいことを気にするんだな。
そう思って二科は口を綻ばせた。
思えばこれまでにも落は意外と律儀な面を見せてきた。見た目や態度から受ける印象よりもきっちりとているし、けじめを忘れない人間なのだ。
「別に僕はなんでもいいけど……」
「普段はどんな風に呼ばれてんの」
「名字がほとんど。二科とか、二科さんとか」
「ふうん。じゃあ『ニカさん』は?」
「あー、それは村野だけ。あいつ以外に僕のことをニカって呼ぶやつはいないよ」
二科は優れた容姿の割に友人が多いわけではない。
中学から大学に入るまでの六年間でも、特別親しいと言える友人を作れなかった。そんな中、五歳も年下の村野だけがどこか硬質の雰囲気をまとった二科に臆せず話しかけてきたのだ。
わざと二科の名前を『ニカ』と呼ぶ機知は村野ならではで、大して幼くもなかったくせに、違和感なくするりと二科の世界に入り込んできた。二科が村野が側にいるのを許容できたのも、村野がそういう人間だったからだろう。
だから二科のことをそんな風に親しく呼ぶのは、村野しかいなかった。
「僕は別にそれでもいいよ」
「いや、村野と一緒はちょっと……」
世の中で二人にしか呼ばれない名前ならいいんじゃないかと思ったのだが、落は言葉を濁した。そういうことを気にするところは少しだけかわいいと思う。
「……じゃあ紗<スズ>とか」
「ん、それはだめ」
即答した二科に落が目線で問うてくる。
即座に却下したことが気に食わないかもしれないが、紗と呼ぶのだけは許可できない。そう呼んでいいのは祥啓だけだからだ。
『紗』と甘い声で呼ばれることくらいは二科の数少ない特権として残しておいてもいいだろう。そのくらいは、許してもらいたかった。
でもそれを教えてはやらない。
「親しき仲にも礼儀あり。お前……の方が年下なんだしな。せめて『さん』くらい付けろ」
「こう呼んだ方が特別な感じがするけど」
そう言ってコーヒーを飲み干した落が二科の隣に腰を下ろした。両手でカップを持っている二科も隣の落に視線をやった。
「でも、だめ」
「ふうん」
眉を動かした落が二科の右耳の付け根あたりに指を滑らせる。二科の返答に含むものがあると気付いたのだろうか。
「ん」
「なんか理由でもあるのか」
「……特にないよ」
本当か。
落の視線がそんな問いを投げかけてくる。それを何気なく避けて、二科は特に意味もなく、点いているテレビ画面に視線を戻す。
「けど、呼び捨てはだめ」
「そうか」
そう言うので納得したのかと思いきや、落が二科の飲みかけのコーヒーカップを取り上げて、ソファから離れた床に置いた。
「なに。……っ」
いきなり顎を掴まれて唇を塞がれる。突然のことにさすがの二科もついていけない。
落の唇はすぐに離れていった。
「あんたそういうとこわかりやすいよな」
「なにが」
「あんまりかわいくないことばっかり言うと」
「な、に」
ソファの上に膝をついた落が覆いかぶさってくる。さっきまでの穏やかさとは変わって、雄の匂いを感じさせる表情で二科の喉仏のあたりに口付ける。
「泣かすぞ、紗さん」
「んっ……ちょっと待てっ」
耳元で名前を囁かれて二科の身体が条件反射のように震えた。それを我慢して落の胸を押す。
今日はゆっくり年越しでもしようと、さっき夕飯に蕎麦を食べながら話をしていたばかりだ。二科もそうした穏やかな時間を過ごすのもいいなと思っていたのだ。
「ま、まだ、年越しまで時間あるだろう。……あっ」
「こうやって年越すのもいいだろ」
「よ、よくない……っ。それにっ」
「なんだ」
「こんな、ソファで……」
しかも点きっぱなしのテレビからは華やかな音楽が聞こえくるし、落ち着かない。
「ふ」
落が笑いながら二科のシャツをまくり上げる。
「たまにはそういうのもいいだろう」
「狭い……」
「それもたまには、な」
言われて二科の体温が一気に上がった。
「あ、落……っ」
そこから先は流されるままに、落にしがみついて言葉通りに泣かされた。
一通りの波が去った後に二科の唇から零れた『ばか』という言葉は、ひどく甘く掠れていた。