七夕 ―― side 玲一
「それじゃあ、またな」
門扉を開けて相原が道路に出る。
それを見送る形で玲一も門から出ると、一瞬、相原が嬉しそうな表情を浮かべた。そして、玲一を引き寄せると素早く口付けてくる。
「!」
あまりに突然のことに驚いて突き飛ばそうとしたけれど、それよりも早く相原は身を離した。
(誰が見てるかもわからないだろうがっ)
心の中の叫びは、けれど口から発せられることはない。
天上天下唯我独尊とまでは言わなくても、我が道を突っ走って他の追随を許さないような性格のこの男に、何を言っても無駄だとわかっている。言うだけ疲れる結果になることは目に見えていた。
それでもまだ辺りも明るいのにいきなりキスするとは何事だ、と思う。ご近所の人に見られたら、それこそ胃の痛くなるような気持ちになることはわかりきっている。
そこまで考えて、玲一は相原に聞こえるように盛大にため息をついた。
その一方で、玲一の気持ちなど理解しようともしないで相原は、やっぱり早く一人暮らししたいな、などと一人ごちている。
「なんだよ、いきなり」
「いや、いつまでも触るだけじゃ満足できない、という話だ」
「はぁ? 何言って、……!」
何の話だと頭の中に疑問符を浮かべようとして、先程までのことを思い出した玲一はとっさに相原を蹴飛ばした。
「何考えてやがる!」
小声で顔を赤くしながら叫んだ玲一の、思わず乱暴になった言葉遣いに相原は器用に片方の眉だけを跳ね上げる。
「別に不自然なことじゃないだろう」
いかにも不満そうな表情に、うっ、と玲一は詰まった。
玲一は社会人、相原は大学生。比較的時間に余裕のある相原と違って、玲一は平日にはそうそう出歩けない。それを分かっていて、相原の方が玲一にあわせてくれているのだ。
堪え性のない相原にしてみれば随分と我慢しているに違いない。それを考えると、ちまちまと小言を言う相原にあまり大きなことも言えないというのが、今の玲一の心境だ。
「いや、それでもだな。こう、……人通りのあるところでそういうことを言うのは、どうなんだ……」
強く言えない手前、玲一は顔を赤く染めたまま俯いた。
(……なんて恥ずかしいことしてるんだろ……)
自宅のすぐ目の前でこんなやり取りをするなんて、恥ずかしい以外の何物でもないだろう。それでもそれを平然とやってしまうのが相原という男だった。
「別にいいじゃないか。誰に見られてるわけでもない」
(そういう問題じゃないだろう!)
咄嗟に心の中で思うものの反撃はできなかった。
それを見越しているのか、相原は綺麗な顔で笑いながら耳元に口を寄せてくる。
「金貯めてホテルでも行くか」
「どあほっ」
囁かれた言葉に頭が一瞬で沸騰した玲一は思わず、その綺麗な顔をはたいてしまった。
顔が真っ赤になっているので迫力も何もあったものではないだろう。相原の方もぶたれた割に楽しそうに笑っている。さすが場慣れしているだけあると思って、少しだけ不愉快になった自分に玲一は驚いた。
いつの間にか自分の中で相原が占める割合が増えているようで、嬉しいような悲しいような少しだけ微妙な気分になりつつも、そう悪くなかった。
「もういいから、帰れよ」
「つれないな。せめてもう少し別れを惜しんだっていいだろう。今日は七夕なんだから」
(あいかわらず、気障……)
そう思ったものの、その言葉でようやく、相原がわざわざ平日に家に来た理由を理解した。
「一年に一度の逢瀬の日に会うってのもいいだろう」
「いや、だってそれって人間が勝手に考えた話だろ。星自体は一ヶ月以上見えてるだろうが。大体なぁ、八月の七夕祭りだってあるだろうが。何も一日限定の行事じゃないだろうよ」
「相変わらず、現実的過ぎるな、お前」
「うるさいよ。ほら、帰った帰った」
いい雰囲気のかけらもないとわかっていても、玲一はさっさと帰れとばかりに手を振った。
「しょうがないな。今日は引き下がろう」
相原も玲一をからかって満足したのか、そう言って今度はあっさりと背を向けて歩き出した。もう来るなとばかりに手を振っていた玲一は相原が大通りを渡るのを見届けてから、門を閉めた。
それにしても、相変わらず相原はイベントごとにまめだ。何かというと顔を出していく。去年も、今年もバレンタインデーに来たし、確か去年のクリスマスの時もプレゼントを持ってきた。……もちろん、玲一もプレゼントをあげる羽目になった。
どうもそういうのは恥ずかしくて、相原のように何のためらいもなくそういう行為に及べるのは、逆にすごいと思ってしまう。
(いや、それでも、あれは恥ずかしいだろう)
バレンタインの時のことを思い出すと、少し恥ずかしさがよみがえってくる。相原は自分がもらう側だと信じて疑っていないので、裏を返せば玲一がチョコレートをあげなければいけない。
さすがに自分で作るのは面倒くさくて――これを聞いたら相原が怒りそうだ――、店で買うことにしたのだけれど、あの時期はどうしても女の人が店にあふれていて、見られている自分が恥ずかしくて仕方がなかった。
(……来年も……なのかな……)
それを考えると少し、いや、実のところかなり嫌だったけれど、なんだかんだ言って相原に振り回されるのには慣れてしまっていて、それが一つの醍醐味のようになってきてしまった。
(それも、何かまずい気がするんだけど)
悶々と考えながら家の中に入ると、ちょうど智也が廊下に顔を出したところだった。
「……玲一、何一人で赤くなってんの」
「!」
疑わしい目つきで見られて、玲一は思わず、げっという顔をしてしまう。それを見た智也はふーんと言いながら目を眇めた。
じっと観察されるように見られて、なんだか嫌な予感がした。
(なんていうか、なんていうんだ。この居心地の悪さは……)
「な、なんだよ?」
「なんでも」
気まずさに耐えられなくて問えば、智也はそうとだけ言って再びキッチンに引っ込んでいった。最近は料理係を智也と玲一の交代にしていて、今日は智也が料理当番の日だった。
(……いや、まさかね)
もしかして、さっき部屋で相原と玲一がしていたことに気づいたのではないか、と嫌な考えが思い浮かんだ。
(…………………………まさかね)
冷や汗をかきながら階段をあがって部屋に戻る。
夏だけれどプライバシー保護のために、部屋の窓は全開にしてもドアを閉めた。そのドアにもたれて、もう一度だけ自分の考えが気のせいであると思おうとする。
(まさか、だよ。まさか。聞こえてたわけないって。だって相原が……)
そこまで考えて、玲一は自爆した。相原に肌を触られた感触を思い出して、身体に熱が生まれてしまう。
(うわっ、うわっ……、相原のばかやろーっ)
別に本番に至ったわけでもなく、そんなに刺激の強いことをしたわけでもなかったが、立っていられなくなってずるずるとへたり込んだ。性的なことについてはいまだに相原の方が数段上で、どうしても主導権を握られている気がしてならない。
(くそーっ)
別に主導権をとりたいわけではなかったけれど、それでもセクハラまがいの行為をどうにかしてほしくもあった。
「……はぁ」
しばらくして熱が引いてから、身体の力を抜いてうなだれた。
(どうしてくれる)
八つ当たりのように思ってみても、結局、相原の行動を許してしまう自分に苦笑が漏れる。文句を言いながらも気が付けば一緒にいるのは、つまるところそれが心地よいから。そういうことなのかもしれない。
(せいぜい長く一緒にいてやるか)
少しだけ強気に思ってみて、口元に笑みをのせた。
(……まあ、あっちが離れてくれない気もする……けど)
何があっても、相原は隣にいるような気がした。それが嬉しいと思えるくらい、自分も相原に侵されている。でも、それでいいかもしれない。
「……俺も相当だめだな……」
なんだかんだと言いながら、相原が占める割合が大きくなっても不愉快ではないことが、一番明確な答えのような気がした。
「今度、給料からホテル代くらい出してやるか……」
思わずこんなことを言えるくらい、自分は相当相原に感化されている。
言葉の意味を想像して一人で赤くなっていると階下から智也の声が聞こえてきた。
「れいいちー、ごはんー」
「はーい」
答えて、玲一は床にへばりついていた身体を起こした。
その手に残る相原の感触にほんの少しだけ笑って、玲一は部屋を後にした。