君がいる 第28話
倒された俺の後ろ頭は運悪くも綺麗に枕の上に乗った。
俺の上に馬乗りになった相原は相変わらずの危ない顔のままだ。
さっき吸われた鎖骨の間が痛い。自分で確認することは出来ないけれど多分赤くなっているだろう。
これはどう考えてもまずい状況だ。
「……どういうつもりだよ?」
どうしようもなく震えた声に相原の顔が少し歪むけれど、すぐにいつもの不敵な顔に戻る。
相原は俺の質問には答えず、勝手にシャツのボタンを全部外していった。
露になった俺の胸から腹にかけてを相原の手が這っていく。
その感覚を気持ち良いとはとらえられなくて自然と肌が粟立った。ぞわぞわする。
「どういう……つもりだ」
「言っただろ」
相原の寄越した短い答えの意味がよくわからない。せめて顔を見ようと身体を起こそうとするけれど、それは叶えられなかった。
「……っ、なにっ、あっ」
いきなり相原に胸の尖りを口に含まれたせいで変な声が飛び出てしまった。
未知の感覚に身体が大きく震える。
驚きすぎて頭がうまく働かない。それでもとにかく止めさせないとと、力の入らない手で髪を引っ張ると相原が顔を上げる。
「言っただろ、好きだって」
相原は思わず見とれてしまうような笑みを浮かべて言った。そして赤面してしまった俺の胸元にキスを落とす。
その感触でようやく活動停止状態だった俺の頭が復活した。
考えてみれば、会えなくて寂しいとか一緒にいたいとか、確かにそんなことを思った。けれど俺は相原のことを好きとか、こういうことをしたいとか、そんなことはこれっぽっちも考えてなかった。
「……俺の気持ちは、無視、か?」
胸の至る所に口づけている奴に言ってやると、相原が再び身体を起こす。
「梶は俺とこういうことは、したくないわけだ?」
そう言って覆いかぶさってくるので、相原のわずかに高潮した顔がよく見えた。相原はそのまま俺を見下ろすようにしながら、指で首筋をなぞっていく。
さすがに敏感な部分を触られると身体が小刻みに震えてしまう。口からもわずかな吐息が漏れた。
「こんなに敏感に反応してるのに?」
確かに反応はしていて、悲しいかな身体の中心から熱が湧いて出てくるような感じがして正直辛い。
それでも今ここで流されまいと、なんとか力を振り絞ってのしかかってくる相原を押し返した。
「お前はっ、肉欲に、負けすぎ、だ!」
相原はわずかに抗がったけれど、途中で諦めたように俺の上からどいた。そのまま俺に背を向けるようにベッド脇に腰掛ける。
俺は急いで身体を起こしてシャツのボタンをとめた。
まったくなんて手の早いやつなのだろう。
「いくら好きだからって、これはまずいだろ……」
汗で額に張り付いた髪の毛をかきあげながらため息混じりにそう告げると、相原は若干眉をひそめて振り返った。
「無理矢理だったのは悪かった」
意外な言葉に驚いて見せるとさすがの相原も苦笑を漏らした。
「俺にだって無理強いが良くないことくらいはわかる」
「だったらもっと早い時点で止めろよ」
「それとこれとは別だ」
何が別なのか俺にはさっぱりわからない。でもどうせ、聞いたところで俺に理解できるような答えは寄越されないのだろう。
俺が俺の論理で動くように、相原は相原の論理でしか動かない。だったら俺がどうのこうの言ったところで相原は退かないだろう。俺が逆の立場だったら、何を言われても自分のしたいようにすると思う。
でもそれでも、相手のいることで、その相手の意思を端から無視して行動するのは間違っていると思う。
少なくとも相原がさっき俺にしたことは、俺の気持ちが無視されていいものではなかったはずだ。そのことだけは伝えておきたかった。
「何が別かは置いておくとしても、俺はさ、肉欲みたいなのより、もっと大事なものがあると思うけど」
「例えば?」
俺は顔を見られないように俯きながら、どこか不満そうな顔の相原の背に頭を付けた。
これから自分がしようとしていることが、これからの俺たちにどんな影響を与えるのか、わからないのが怖い。けれど正面からぶつかってきた相原に返せるものは、今の自分の正直な気持ち以外にはなかった。
「例えば、気持ちとか。俺はさ、やっぱりそういうのを大事にしたいよ」
そう言いながら恥ずかしいのを堪えて腕を伸ばして、後ろから緩く相原を抱きしめる。相原が驚いたのが雰囲気でわかったけれど、構わずに抱きしめる手に力を込めた。
こうでもしないと恥ずかしさで暴れまわりそうだ。
「今の時点でお前と同じ気持ちは返せないけど、少なくとも会えないと寂しいし、一緒にいたいと思う。好きかどうかなんて俺にはわからないけど、お前は、それなりに大切な存在なんだ」
一気に言うと、言えたという安堵感と満足感が湧きあがってきて脱力する。
そうした後で無防備に相原にひっついている状況に思い至り、あまりの恥ずかしさに慌てて腕を外すと、振り返った相原に逆に抱きしめられた。
「あっ」
驚いてる隙に相原が俺の唇を掠め取る。
油断も隙もない。
「だから、そういうことをするなって」
不満を口にして顔を押しのけると、相原はいつもの調子に戻ったのか、その顔に不敵な笑みを浮かべた。
「もうそういうことはするなよ? 少なくとも襲うのは止めろ」
「せめてキスは許可しろよ」
強い口調で釘を刺せば相原は傲慢にも求めてくる。
それにはどうにも答えかねて、俺は相原の腕から逃げ出した。相原もそれ以上は無理強いをするつもりはないらしく大人しく引き下がった。
それでもこのままでは、俺よりはずっと経験豊富だろう相原のペースに乗せられてしまいそうだ。とりあえずこの雰囲気をどうにかしようと俺は強引に話題を変えた。
「そうだ、もう昼だから腹減っただろ? 昼飯作ろう」
そそくさとベッドを降りようとする俺を見て、相原が眉を片方跳ね上げた。けれど苦笑いをするだけでそれを止めなかった。
その代わりに立ち上がった俺の手をそっと捕まえてくる。
「そうだな。とりあえず昼にするか、玲一」
突然名前を呼ばれたことに驚いて振り向いた俺に、相原がにっこりと笑う。
「な、なんだよ、急に」
「いや? キスが許可されないなら、名前で呼ぶくらいはいいだろ」
「や、まあ、名前くらいはいい、けど。……なんで急に」
「誠意を示すにはこういう方がいいのかと思って」
相原に誠意などと言われると余計に疑いたくなる。そもそも相原の言う誠意と世間一般で言うところの誠意が同じものなのか、そこからしてあやしい。
本当に何を考えて生きているのか、俺には理解しがたいやつだ。
「で、昼飯は何を作ってくれるんだ? 玲一」
同じように立ち上がった相原に耳元で聞かれた俺は思わず飛びのいてしまった。
なんだかよくわからないけれど、自分が妙に追い込まれているような気がする。
「と、とりあえずすぐに作れそうなやつ確認する」
いけしゃあしゃあと返事を待っている相原に答えつつ、逃げるように俺は部屋を出たのだった。
そんな俺の姿を見ている相原の口角が楽しそうに上がっていることになど気付かずに。