君がいる 第17話
相原が硬派になってから一週間が経つ。
センター試験を目前にした時期に、さすがの三枝たちも最後の追い込みとばかりに勉強に励んでいるようで登校していない。彼らと会ったのは始業式が最後だった。
そして相原とはなんとなく気まずい感じがして、ここのところろくに話してもいない。向こうも話しかけてこようとはしないから、俺からもわざわざ声をかけたりはしなかった。
というか、時間が経つにつれて段々とどうすればいいのかわからなくなってきたのだ。
今まで通りにしようと思っても、あの時のことを思い出すと羞恥心というか何とも言えない恥ずかしさのようなものが込み上げてきてしまって、結局それはできずじまいだった。
相原と行動を共にしない上に桜たちもいないとなると、自然と一匹狼に戻ったように行動してしまう。高校に入ってからは自分の友人もできたせいなのか、それが少し寂しく感じられる。そんな自分にふがいなさを感じてため息をついた。
「なぁ、最近どうしたんだ?」
休み時間にやることもなくてぼーっとしていると、隣の奥住が声をかけてきた。
「なにが~?」
外を見るために窓に向けていた視線を奥住に向けると苦笑いをされた。
「ひっどい顔だなぁ。なんか悩みでもあんのか?」
「そんなにひどい顔してるか?」
「ひどいひどい。どうしたんだよ?」
「どうということもないよ」
机に突っ伏して顔だけ奥住に向けると、その顔が少し歪んだ。そんなに変な顔をしているのだろうか。
「最近お前らあんまり一緒にいないのな」
「お前らって?」
「お前と相原。前はもっと一緒にいたよな。最近、ホントに別々に行動してるだろう。話してるとことか見ないもんな。……冬休み明けた頃からかな?」
あまりに鋭い指摘にどきっとする。
奥住はさすが二年間友人をやっているだけあって、俺と相原のことをよくわかっている。けれど俺とあいつの間にあったことを話すことなんてできないし、話すつもりもない。
「何にもないよ。相原は生徒会で忙しいんだろー。」
「ならいいけど。でもそうだよな~。三年の卒業パーティとか来年度の引継とか、生徒会は忙しいだろうなぁ。あれ、でもそういう時こそ梶が呼び出されてなかったっけ? 有能な秘書がいるって言ってなかったっけ」
「……有能なのは俺じゃなくて北岡<きたおか>だろ」
疲れたように言うと奥住はまた苦笑した。
「疲れてんなぁ。大丈夫か?」
「大丈夫……」
「……そうか?」
「うん」
そう答えると奥住はそれ以上追及しなかった。
「そういや北岡と言えば、あいつも相原にばっさりやられたんだろう?」
北岡とは一年の女の子で、仕事のできる立派な生徒会の副会長だ。
「あの子は相原のおっかけみたいなところがあるからなぁ。それでも仕事はきっちりできる。有能な秘書は彼女みたいな子のことを言うんだよ」
「そうかもなー。相原もいい副会長持ったよな」
「ホントホント。相原みたいなやつには勿体ないくらいできる子だもんな。でも、よく副会長に立候補したよな。相原みたいなバカはともかく、一年生で、しかも入学して間もなかったから、相原人気なんて知らなかっただろうに」
身体を起こして頬杖をつくと、奥住は驚いたような顔をした。
「あれ、梶知らないのか? 副会長の北岡は、2-7の北岡の妹だぞ」
「え?! そうなの? 知らなかった」
「北岡は相原好きだからな、妹の方は入学する前から多分散々相原のこと聞かされてたに違いないな」
「……あれ? 7組の北岡って男じゃなかったっけ?」
「今更何言ってんだよ、梶。男でもあいつのファンは多いぞー。まぁうちのアイドル的存在だから仕方ないとは思うけど、お前なんかいろんなやつから羨ましがられてるぞ」
「げー、本当かよ」
本気で顔をしかめて奥住を見ると、奥住は笑っている。
「あんな何考えてるかわからないバカのどこがいいのかねぇ」
「だーれーがーバカだって?」
背後から突然声が降ってきて、それに驚いて振り返ると案の定そこにいたのは相原だった。久しぶりの会話にどうしようかと思ったが、向こうが普通に話しかけてきたのにほっとする。
「お前だよ、お前」
「あ?」
「まぁまぁ相原、アイドルがそんなドスをきかせた声を出すなって」
奥住のとりなしもなんのその、相原はふんと軽く鼻を鳴らした。
「まぁいい。梶、ホームルームが終わったら生徒会室に来い」
「は?」
「いいから来いよ」
相原はそれだけ言うとさっさと自分の席に戻っていった。
「なんだ、あれ?」
「さぁ……」
俺と奥住は訳が分からずに顔を見合わせた。
そういえば最後にここに来た時もこんな感じだったと、生徒会室のドアの前に立って思い出した。
前回の反省を活かしてはっきりと三回ノックすると、今回はちゃんと返事が聞こえた。
硬派になったのだから、またこんなところであんなことをしているとは思わない。それでも返事が返ってきて少しほっとした。
そろりとドアを開けると中には相原しかいないようだった。呼び出した張本人は書類らしきものを見ながら悠然と所定の場所に座っている。
「遅かったな」
視線を俺の方に向けることなく話しかけられた。
俺としてはできれば来たくなかったのだけれど、来なかったら来なかったで面倒なことになるような気がしたのだ。
それに、できるならば相原とは以前のように友人としてうまくやっていきたいと思っている。それでもどうすればいいかわからない今の俺には、これは降ってわいた絶好の機会だった。
「奥住たちとちょっと話してたから」
「そうか。悪いけど、もう少し待っていてくれ」
「わかった」
とりあえず待つためにソファに座る。時間を潰すために隣に置いた鞄から文庫の小説を取り出して、読み始めた。
やけに近くで聞こえた音に目を醒ました。
「ん……」
どうやら本を読んでいる間に眠ってしまっていたようだ。いつの間にかソファに横たわっていた身体には俺のコートが掛けられている。本は目の前に見えているテーブルの上に置かれていた。
「俺寝てた……?」
ゆっくりと起き上がると、ちょうど寝ていた俺の頭の方にある隣のソファに腰掛けている相原が目に入る。
「一時間半くらいか」
左腕の時計を見ながら答えた相原は、そのまま手にしていたカップに口を付けた。
「そんなに寝てたのか、俺」
「また根詰めてたんじゃないのか。無理に睡眠時間削って勉強したとか」
「俺じゃなくて、さ」
そこまで言った俺は喉の渇きを覚えて、用意されていたもう一つカップにポットから紅茶を注いだ。
「あと少ししたらうちの入試だろ。智也のために食事から始めて、健康に気をつけて、なんてことやってると必要以上にいろんなことに気を配って、とにかく疲れるんだよ」
「そうか、智也もそろそろなのか。うちの試験休みも確か二月の始め頃だったしな」
「そうそう、それ」
「なるほど。それでこんなソファの上で熟睡するほど疲れてたのか」
「そういうことだよ」
俺は目を完全に醒まさせるためにも熱い紅茶を口に含む。喉を通って胃が温かくなるような感覚にほっと息を吐いた。
「悪いな、こっちが逆に待たせたみたいで」
「気にするな。元々は俺が待たせたんだし、疲れてたんだろ。家帰ったら嫌でも智也に構うことになるんだから、少しはここで羽根を伸ばしていけ。……くそ」
紅茶の湯気でレンズが曇るのを嫌った相原が眼鏡を外す。
俺はちゃんと落ち着いて相原と会話できたことにほっとしながら、相原が眼鏡を外す様をなんとなくぼんやりと眺めていた。
ふと相原がそれに気付いたのかこちらを見る。そのままカップを戻して俺に向かって手招きをした。
相原が何を言いたいのかよくわからなかったが、とりあえず何か用があるのだろうとすぐ近くに座る相原の方に少し顔を近づける。「なんだよ?」と言おうとして口を開こうとした瞬間に、すっと相原の唇が俺のそれに触れた。
「なっ」
ほんの一瞬のことに動転した俺はとっさに言葉がうまく紡げない。
どうしてくれようと頭の中でぐるぐる考えていると、相原が先に言葉を発した。
「お前、あんなことがあった後なのに全然警戒してないんだな」
その声にはどこか楽しんでいるような笑いが含まれていて、それに思わずむっとする。
そもそも相原がこんなことをしてくるなんて考えてもみなかったから、警戒なんかしているわけがなかった。俺はただ友人として話をしていただけなのだから、それは当然のことだろう。と思う。
「なんだよ……それ」
なんとか搾り出せた言葉はそんなものだけだった。もっと他に言うべきことがあるような気がするのにうまくまとまらなくて、必死に自分に冷静になるように言い聞かせる。
「……この間のことも、お前はどういうつもりなんだ」
再度問いかけても相原は答えなかった。
ただ黙ったまま見つめてくるだけで、何も言う気配がない。
「答えろよ」
口ではそう言いながらも、本当は俺は何も聞きたくないと思っているような気がする。
他人のプライベートな、特に内面に関することにはできるだけ関わりたくなかった。そんな深いところなんて知りたくない。……面倒なのはごめんだ。
俺はとっさにソファから立ち上がり、瞠目する相原を無視して洗面所へと早足で移動した。わざとらしく大きな音をたててドアを閉めた俺は部屋の電気をつけて、左手にある水道の蛇口を勢いよく捻った。