君がいる 最終話
上からの強い日差しとともに横から投げられる視線がじっと俺に絡み付く。
あまりの視線の強さはもはや痛みを感じる程だけれど、それを口に出すことはできずに俺は黙々と弁当の中身を口に運ぶ。
夏休みが明けて九月に入っても、茹だるような暑さが身体を苛む。
そんな中、人で溢れかえっている学食と教室を避けて、あいも変わらず昼食を屋上で摂っているのは単なる馬鹿かもしれない。それでもそんな馬鹿に付き合ってくれる馬鹿がいるから、寂しくはないのだけれど。
残念ながら今の俺にはそんな馬鹿の存在を有り難く思う余裕はなかった。
はっきり言って今の状況は息が詰まる。楽しく食事を摂るような気分には到底なれない。
原因は言うまでもなく、二学期に入ってから昼食のメンバーに加わった相原だ。
そもそも相原とは中学で知り合ってから高校三年に上がるまで、ずっと一緒に弁当を並べて昼食を摂っていたのだ。クラスが別れて、昼食も別々に摂るようになって、戸惑ったのは俺だけではなかったらしい。
相原の方も何とも言えない違和感を抱えたまま過ごしていたようで、夏休みにうちに来たときに話の流れで今まで通り一緒に昼飯を食べようということになったのだった。とはいえ、俺が積極的に持ちかけたというよりは、ほとんど相原がごねたようなものだったけれど。
それで二学期が始まってからは杉浦と相原の三人で弁当を食べるようになって、結果的にはそれで色々丸く収まった形だった。
奥住たちには、不機嫌な相原を引き取ってくれてありがとうと感謝されてしまった。向こうは向こうで相原を持て余していたらしい。なまじ綺麗な顔なだけに、不機嫌な顔が恐かったのだろう。
そんなこんなで相原が昼食の場に加わることになったのは良かったが、ずっと三人で弁当を並べるのが相原には気に入らないらしい。ここ二、三日、相原の視線が痛いくらい刺さるのを感じている。
だからといっ相原の機嫌をとって杉浦を追い払うのはとても失礼なことだし、何よりそんなことをした日には俺達の間に『何か』があったってことを見透かされそうだ。それだけは勘弁願いたかった。
まあ別に、俺と相原の間に明確な変化がもたらされたわけではないのだけれど。それでもこれまでに相原との間で起きたことを思い出すのは気恥ずかしいので、周りにはできれば何も知られたくないのだ。
だから、そんな刺々しい視線を送ってくるなっての!
「梶、どうかしたのか? 箸が止まってる」
箸をくわえたまま相原を睨み付けた俺は、杉浦からかけられた声にはっとなった。
さっと視線を弁当の方に向けると、視界の端の方に相原の不満そうな顔が入る。ようやく自分の方を向いた俺が、少しの間しか自分のことを見なかったのが不満なんだろう。けれどそんなことには構っていられない。
「なんでもない」
そう言い訳をして再び箸を動かし始めると、杉浦が微かに笑いを漏らした。何事かと顔を上げて杉浦を見ると、面白がっているような表情だ。
「俺はお邪魔かな?」
「え?」
咄嗟に何を言われたのかわからず間抜けな声を出すと、杉浦は声を立てて笑った。こんな風に笑う杉浦は初めて見るかもしれない。
これ、かなりレアなんじゃないのか。
そんなことを考えている俺には構わず、杉浦はさっさと弁当を片づけて立ち上がった。
いつの間に弁当を食べ終わっていたのだろう。
「さてと、じゃあ邪魔者はいなくなるから」
「へっ?」
事態をうまく飲み込めずに慌てている俺を横目に杉浦がにこやかに笑う。
「ごゆっくり」
最後に意味深長な言葉を残して、杉浦は校舎へ続くドアの方へ姿を消していった。
「え?! 杉浦っ」
ドアはここからは死角になっていて見えない。俺は杉浦を追い掛けるように腰を浮かせて待てよと言おうとした。けれどそれを遮るようにして相原が俺の名前を呼ぶ。
「玲一」
「何だよっ」
杉浦の方へ向かおうとしていた身体を相原の方によじらせると、相原がさっと俺の唇を奪う。突然のことに驚いて、声を詰ませると今度は相原が笑った。
笑われてばかりで、何が起きているのかよくわからない。
憮然とした気持ちで相原を見ていると、近くでドアの閉まる音がした。釈然としない気持ちをもてあましている間に、杉浦は校舎に入ってしまったらしい。
今更追いかけるのも馬鹿らしくて、俺は結局腰を落ちつけることになった。
「あいつ使えるな」
相原がふと可笑しそうに漏らした。意味がわからなくて不思議に思った後に、ようやくまともな思考が復活した。
使えるってなんだよっ、使えるって!
けれど心の叫びは声にはならず、代わりに口からはため息が出た。
いくら校内に続く階段の裏側にできたわずかな日蔭の下にいても空気が暑い。それだけでなく相原の行動にも食欲を削がれ、俺はまだ中身が残っている弁当箱に蓋をした。
すると相原がもう一度顔を寄せて来た。用意周到なことに眼鏡は外されている。
このくそ暑い中、屋上にいる馬鹿は俺たち二人だけだったからか、俺が逃げないのが相原に伝わったのか、理由はわからないけれど二度目の口づけはゆっくりとしたものだった。
初めはしっとりと重なった唇が、次第に軽く触れては離れていくようになる。何度も繰り返されるキスに自然と俺の瞼が落ちた。
相原に恋愛感情はないと言っているものの、このまま流されて結局は相原を受け入れてしまいそうな自分に苦笑する。けれど、こんな何気ないキスを心地よく思う自分がいるのも事実だった。
この夏、俺は相原という存在の大切さに気付いてしまった。
相原は俺にとってとても大切な存在なのだ。それに気付いてしまったからには、もう手放せないのかもしれない。
ずっと側にいたいなんて思ってしまうから、俺はもうだめなのかもしれない。もうしばらくは腐れ縁とも言える関係を続けてもいいかな、なんて考えてしまう。
「んっ」
ぬるり、と調子に乗った相原の舌が口内に入ってくる。ろくな抵抗もしない俺は舌を絡めとられるのが息苦しくて、でもまるでキスに夢中になったように相原の腕にしがみつく。
そんな馬鹿な自分を笑いつつ、それでもこんなキスを繰り返しながら思う。
もう少し深く相原の内面を知ってもいいかもしれない、と。
人のことを深く知ることは恐いし、自分が傷つきそうで、そうそうすぐに好きはなれないけれど。他人に触れるのはあまり好きではないけれど。それでも、相原ならいいかな、なんて思ってしまう。
相原に対してだけなら許してもいいか、なんて思ってしまう。
俺もやっぱり馬鹿だな。
「……はぁ」
ようやく相原から解放されるのを見計らったかのように、予鈴が鳴った。
相原に馬鹿な事をされている間に昼休みが終わってしまった。
早く片付けて戻らなければと思った時に大事な事実に気付いた。
ちょっと待て。
何で杉浦はさっき『ごゆっくり』なんて言ったんだ?
考えるほど嫌な結論にたどり着く。つまり、杉浦は知っているのだ。俺と相原がこんな事をする仲だと知ってるに違いない。そうとしか思えない。
……何でだよ!?
俺の疑問に答える声はなかったが、ふと気付いてしまった事実に血の気がひいていくような気がした。
一体何がどうしてこうなってしまったのか。何も分からない。
何も知らず、訳も分からず、色々なことに振り回されている自分がなんだか哀れにすら思えてくる。
杉浦は明日も一緒に弁当を食べるのかとか、もしかしてもう来ないのかとか、でもどうせ同じクラスだから毎日顔を合わせることになるのか、いや、そもそも大体これからどんな顔して杉浦に会えばいいのかわかんねーよ!
そんな具合にほぼパニック状態に陥って、頭の中はさっぱり整理されない。
そんな俺を横目に、相原はさっさと弁当を片して立ち上がっている。その上、もうどうすればいいのか分からなくなっている俺に向かって、平然と声を掛けてくる。
「おい、そろそろ行かないとまずいぞ」
なんでお前はそんなに普通にしていられるんだ。
なんだか腹が立ってあたってやろうかと思ったが、相原にそんなものは通じないと思い返してなんとか踏みとどまる。
どうやら問題は山積みのようで、俺と相原が離れ離れになる卒業までのあと半年弱。騒がしい日々がまだまだ続きそうな予感に、俺は目の前が暗くなるのを感じた。
残り少ない学生生活を心安らかに過ごせる日はないのかもしれない。でも、それでもまあいいか、と思う。
相原に急かされるようにして立ち上がった俺は軽い立ちくらみを起こした。身体が揺らいだところを相原に支えられる。自分を支える腕に軽く触れて、身体を離す。
「じゃあ行くか」
俺の方を見て言う相原に、俺はああとだけ答えた。それに頷いてドアの方へ向かう相原の背中を、俺は追いかける。
目に刺さるような暑い日の光が俺と相原の上に降り注いでいた。
fin.