君がいる 第11話
教師がプリントを配った瞬間に教室には悲鳴が上がった。
「げーっ」
「文化祭終わったらすぐこれかよー」
ホームルームが終わった途端皆がざわめくのも無理はなかった。俺も配られたプリントを手にしてため息をついた。見ているだけで気分が沈む。
プリントには活字で「進路調査」と書かれている。つい先週末に文化祭があったばかりで、誰の頭も緩んでいる今の時期にこれが配られるのは計画的だと思う。絶対に、たるんだ学生に現実を突き付けるための小道具だ。
なんだかんだ言いながら、どこの大学を希望するか話し始めるクラスメートを横目に、俺はそのプリントを鞄にしまった。
「あれ、もう帰るのか?」
隣の席の奥住が、さっさと帰ろうとする俺に話しかけてきた。
「ああ」
奥住も例にもれず前の席のやつとプリントを睨んでいる。
「じゃーな、奥住」
「おう、じゃーな」
手下げ鞄を肩に担いだついでに手を上げて教室を出ると、相原とすれ違った。
「帰るのか?」
「ああ」
「早いな。あ、ちょっと寄ってかないか? 生徒会と文化祭実行委員が文化祭の打ち上げするんだ。各務さんと三枝さんも来るから」
「桜ちゃんも? ……あー、でもいいや。俺は完全な部外者だし。誘ってもらったのに悪いな」
「いや。……大丈夫か?」
いきなり言われて少しドキッとする。相原は少し鋭いところがある。
「……何が?」
別に隠すことはないけど、何となく気分的に話したくなかったからごまかすように答えた。
「いや……なんとなく沈んでそうだから」
なんで相原にはわかるんだろう。
そう思うものの、でも今の俺にはそれを言うのも面倒臭かった。気分が重くて、とにかく早く人がいないところに行きたかった。
「多少な。少し疲れがたまったかな」
「無理すんな。なんかあったら言えよ」
「ありがと」
それだけ言って、俺はその場を足早に去った。
「かじー! 田中が呼んでるぞ」
放課後、奥住たちと話していると教室に入ってきたクラスメートが声をかけてきた。
「田中?」
「うん、職員室にいるって」
「わかった。ありがとう。ちょっと行ってくるわ。先帰ってていいから」
奥住たちに言うと「わかった」と言って送り出してくれた。
「失礼します」
職員室のドアを開けながら声をかけると目的の人物が手を上げた。
「おお、梶、こっちだこっち」
「先生、なんですか?」
担任の田中の机まで行くと、丸イスに座るようにすすめられる。座ると、なんとも言いにくそうに田中は切り出した。
「その、呼び出したのはこれのことだ」
そう言って田中が見せたのはこの間の進路調査表だ。そこには俺の名前と進路希望が書かれている。田中が何について話したいのか察して、周りに聞こえないように小さくため息をついた。
「これは……ちゃんと親父さんに話したのか?」
「……はい」
「親父さんなんだって?」
「最初は渋ってましたけど、最後には認めてくれました」
「本当か?」
疑うようにして聞く田中に思わず苦笑してしまう。
「本当です」
そう言うと田中は大きく息を吐いた。
「そうかぁ」
「やっぱり、ダメですか?」
聞けば、田中は首を振った。
「いや、ダメなわけじゃない。こういうのは本人の希望が一番だからなんとも言えないんだが……」
そのまま口を閉ざした田中はしばらくして「もう一度考えてみないか」と言った。
「はぁ」
職員室を出て、開いた窓から上半身を乗り出して大きく息を吐いた。体も気分も重い。なんだか文化祭が終わった辺りから調子が悪い。本気で疲れが出たのかもしれない。
そんなことを思っていたら突然頭を軽く打たれた。
「どうした?」
「相原……」
「進学のことか? さっき職員室で話してただろ」
「……聞いてたのか」
「偶然な。他の先生に用があって」
「そっか……」
「やっぱりそうするのか?」
「……ああ、決めてたから。田中には考え直せって言われたけど、変えるつもりはない」
「……そうか」
「卒業したら、就職するよ」
冬の気配を含んだ秋の風が俺の髪を揺らした。
各務家の食卓は梶家とは違ってなかなかに賑やかだ。
「やっぱりそうするんだな」
「うん。決めてたし、さ」
「玲がそう決めたなら、それでいいよ」
俺と智也は久しぶりに桜の家の夕飯に誘われた。
夕飯の席での話題はやっぱり俺の進路のことについてだったけど、桜は俺の決めたことを覆そうとはしなかった。それが俺を少し楽にさせる。
「なぁに、玲ちゃん本当に就職するの?」
おかずのカキフライを口に放り込みながら話しかけてきたのは椿<つばき>だ。桜と同じく美原高校に通っている。ついでに言えば三枝の彼女だ。
「うん、就職する」
「そっかぁ」
椿は箸をくわえたまま、大きめの瞳を寂しそうに少し伏せた。少しだけ茶色い髪の毛が睫毛に触れるように軽く垂れている。
俺と桜と椿は兄妹かと間違われるほど似たような顔をしている。全員母親似で、その母親同士が姉妹だからなのか、雰囲気が異様なまでにに似ているのだ。
その中でも特に俺と似ているのはなぜか椿の方だった。
双子は二人とも黒い瞳なのだけれど、黒い髪の桜に対して椿は俺と同じように少しだけ茶色い髪なのだ。二人で歩いているとたいてい姉弟に間違われる。椿の髪の毛がストレートじゃなかったら双子と思われても不思議ではない、と自分でも思うくらいには似ている。
つくづく遺伝とは恐ろしい。
ちなみに智也はうまい具合に両親の合いの子という感じで、少し系統が違っていた。
「じゃあ玲一君はこれから大変ねぇ」
テーブルの上にカキフライののった皿を置きながら話しかけてきたのは、桜と椿の母親の百合<ゆり>だ。
「そうだな。社会人になるとなかなかこんな風には会えなくなるかもしれないな」
「どうなるかはわからないけど、大変にはなりそうです」
「早いものねぇ。玲一君がもうそんな年になったなんて」
「母さんそのセリフ年感じさせるよ」
頬に手を当てて感慨深げに言う百合に桜が突っ込みを入れる。
「お母さんにそんな口をきくんじゃありません。……でも菊乃<きくの>が亡くなって十五年も経ったのねぇ。桜と椿が大きくなるわけだわ。何か辛いこととかあったら、相談してね。うちの二人をこき使っていいから」
「なんだよそれ。でもまぁ、前にも言ったけど、なんかあったら言えよ」
母親代わりの百合や桜の心遣いが嬉しい。特に百合には、母親ってこんな感じなのかな、と思う。
「ありがとうございます」
「三枝に相談されるくらいなら、俺が相談にのった方が気分的にいい」
俺でさえ忘れそうになっていた三枝の事件を蒸し返す桜の発言に、それまで沈黙していた椿が口を挟んだ。
「陽<よう>ちゃんの悪口言わないでー」
「お前なんであんなのと付き合ってるんだよ」
「陽ちゃんはいい男だもん。本当は桜だって知ってるでしょー」
「知らないね」
桜と椿は学校でも有名なほど仲の良い、というかべったりくっついて離れないような双子だ。だからこそなのか、桜は三枝に辛い。
「そういえば、智也君も受験?」
仲の良い二人の会話などなんのその、百合はマイペースにカキフライを食べている智也を見た。
「そうです」
「智、どこ受けるんだ?」
桜も会話に加わって来る。
「俺も美原行きたいなーって」
「あ、ホントに? おいでおいで」
「椿、智が入学するとき俺ら卒業してるぞ」
「あ、そうかぁ。残念だなぁ」
「俺も桜君と椿ちゃんと一緒に行きたかったなぁ」
肩を落とし気味の智也はひいき目にもちょっとかわいい。
「でもそれじゃあ玲一君は今も大変ね」
「ええまぁ、なるべく早く帰るようにしたり、智也が風邪ひかないように気を使ったりとか。色々心配で……、気苦労が絶えないっていうか、最近疲れます」
「とかなんとか言って、智也君が美原来てくれたら嬉しいんでしょ」
「そりゃあ嬉しいですよ。なんか息子が合格したみたいで」
「確かに玲一は母親みたいだ」
カキフライを口に放りこみながらの一言にみんな笑う。
「それならなおのこと、何かあったらすぐに知らせなさい。言わなかったら後でお仕置きだからね。あ、それから、今日は送るから」
百合が言うのに俺の心はほんの少し温かくなる。俺を支えてくれる各務家の人々に感謝しつつ、その夜、少しだけ埋められた寂しさに安堵の息をもらした。